2013年12月24日火曜日

<6>紛れもない「抱き茗荷」紋

 ”我が大塚家の家紋は、口伝では「抱き茗荷」と伝えられているが、実際は「抱き杏葉」かもしれない。”

とまあ、そんな仮説をもとに考えていた、「大塚家-立花家-大友家」の関係であったが、その真実は意外にあっさりと解決することになった。

 というのも、父親の長兄(僕にとっては伯父である)が亡くなったおり、一家で葬儀に参列した際、実際にかの「墓所」へ確認しに行ったからである。

 ※「墓所」というのは、http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2013/12/blog-post_21.htmlで説明した大塚家の墓のことである。

 僕も実際に確認するまで気がつかなかったのだが、確かに墓所の中心の大きな墓石には、家紋の刻印が彫りこんである。

「ああ、やっぱり『抱き茗荷』に間違いないわ」

とその場にいた、僕も父も弟も同意した。風雨にさらされて多少角がとれてはいるものの、刻印が判別できないほどではなく、まぎれもなく「抱き茗荷」のデザインがそこにあった。

 僕らは念のため紙と鉛筆を持ってきていて、その場で拓本を取り、もちろんデジカメで写真を撮って持って帰った。



 この刻印が

「紛れもなく、抱き茗荷」

であることが示す事実はひとつである。それは、我が家の家紋は「杏葉」紋と混同されてはいない、ということに他ならない。


 たしかに、前回引用した立花家の説明においても、杏葉紋を「茗荷紋」と間違えて読むことはあっても、家紋のデザインそのものが混乱したり誤用されたりしたことはない、とのことであるから、この時点で、杏葉系の氏族とは無関係であることが確定したわけである。

 九州に一大勢力を築いた「大友」氏・家との関わりは、一旦否定せざるを得ない。となれば、必然的に、いくら柳川藩が近くにあるとはいえ、立花家の「抱き杏葉」紋とも偶然似ていただけ、ということになるわけだ。


 つまり、ある意味我が家のルーツ探しが振り出しに戻ってしまったような感じになったのである。




★コラム★ 抱き茗荷紋を知る

 あなたのお家の家紋が「抱き茗荷」だった時に、読むと面白いサイトをいくつか紹介しておきます。


 ☆「播磨屋」さんのページより

 http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/myouga.html


 戦国武将と家紋について、膨大なデータベースと解説をお持ちの「播磨屋」さんのサイトは、家紋調べの入門編としてたいへん役に立ちます。

 
 ☆きもの屋さん「みなぎ」さんのページより

 http://minagi.p-kit.com/page136576.html

 
 茗荷紋の変種がたくさん掲載されています。基本的にシンプルな家紋が古い紋で、それからどんどん装飾が増えたり、他の形と組み合わさって新しい紋が出来上がるようになります。

 紋を少しずつ変えることで、「本家とは違う分家だよ」等、オリジナルとの違いを示すことができるからです。


 ☆「民のかまどはにぎはひにけり」ブログさんより

http://dakimyouga111111.blog.fc2.com/blog-entry-50.html

http://dakimyouga111111.blog.fc2.com/blog-entry-51.html



 茗荷紋は、摩多羅神という天台密教系の神様の信仰と深い関わりがある、ということは、いろんなサイトでも説明されているのですが、ちょっと詳しい突っ込んだ記述がありましたのでご紹介。

 

 実は僕は、大学時代この「摩多羅神」を祀った謎の奇祭を見たことがあります。大学時代、下宿アパートが京都太秦の広隆寺の近くにありましたので、

「太秦の牛祭り」

を見に行ったことがあるのです。

 詳しくは、


☆「摩多羅神は何処から来たのか」さんのサイトより

http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_J.html


 に説明があるので、ご興味のある方はどうぞ!



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