2023年2月9日木曜日

<127> 新シリーズ「船津氏」のルーツを探る

  

 当家の「大塚氏」についてのルーツ調べが一段落したところで、今度は祖母方の「船津」姓について調べてゆきたい。

 

 「船津」という苗字は福岡県が最大分布で、

 

■ 福岡県に約500軒

■ 佐賀県に約200軒

 

のほか、熊本や長崎にもそれぞれ200軒ずつ程度の広がりがある。

 

 その他は関東地方などに飛ぶので、こちらは語源が異なると考えてよいだろう。

 

 おそらくだが、福岡県内でもいくつかの語源があり、また佐賀とは別と思われる。

 

 

 <福岡県の船津>

http://shofuku.nobushi.jp/imakogatizu.htm 

 

柳川に「(山門郡)蒲船津」があった。 (三橋町・蒲船津城)

蒲がつくのは「蒲池」姓などとも通じる。蒲がめっちゃ生えていたのか?


柳川にはほかにも「本船津」「新船津」などの地名がある。


http://www2.harimaya.com/sengoku/html/asou_k.html

 

豊前麻生氏の重臣に「船津氏忠」がいる。(船津参河守氏忠)

 

また、大牟田市南船津町がある。


 

 <佐賀県の船津>

https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=1109

 

 https://www.tsunasaga.jp/nishikawasoe/2015/03/post-73.html

「与賀船津」 と 「鹿子船津」 「川副町西船津」といった地名がある。




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 船津とは、素直に「舟が着岸する港」という意味なので、筑後川や有明海沿いには、自然発生してまったくおかしくない苗字である。


 福岡県内の分布は


〇 久留米市安武 15軒程度

〇 遠賀郡水巻 10軒程度

〇 宗像市武丸 10軒程度

〇 宗像郡福間 10軒程度

〇 田川郡赤池 10軒程度

〇 三潴郡楢津 5軒程度

〇 鞍手郡室木 5軒程度

〇 宗像郡津屋崎 5軒程度


という感じになっている。おおむね、宗像方面/筑後久留米方面/筑前遠賀方面と分けられるだろうか。

 

 

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 氏族としてはっきりしているのは「船津氏忠」なので、まずはこの人物をおいかけてみよう。

 

 

 <中間市史>

 

船津氏忠は麻生氏の家臣で、麻生隆実諸臣恩賞の項に「一、折尾郷内百町、舟津三郎に賜。浜田の城に置れける。後三河守氏忠と改。」「麻生隆守記」とあり、麻生家の臣として仕えた”

 

船津氏忠が天正一五年(一五八七)底井野郷宮内分一町を鹿寿丸に預けた文書”

 

 

 <遠賀郡誌>

 

”船津地蔵堂 大字二夕・字宮の下にあり船津三河守氏忠の霊を祀るといふ。”

 

 

福岡県史: 近世史料編. 福岡藩初期>


 ”船津家は、同家家記によれば、麻生上総助元重の家老職であった船津参河守氏忠に始まる。天正十五年に麻生氏が遠賀の地より筑後の地に退転の後は浪人となり、御牧郡垣生村に居住していた。黒田氏入部後長男は藩士に召抱えられたが、次男は同郡二村に移住”

 

 ・・・おおむねこのあたりまでくれば「遠賀郡」の船津氏が、麻生家臣だった一族とわかる。

 

ただ、麻生氏が筑後に移動していることが気になる。筑後へやってきた船津氏もいるのか?

 

 

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 宗像方面については

 

鎌倉幕府裁許状集>

 船津大郞家重与宗像六郎氏業法師”
 
 
 
<鎮西御家人の研究>
 
宗像氏の所領買得について船津次郎家重が相伝の由緒を主張し、氏業・氏郷は非御家人であると主張している”
 
 
とあり、鎌倉時代から宗像に関係して「船津氏」がいたことがわかる。
 
 
この船津氏は、実は長崎が本拠で、
 
 
<宗像大社文書>
 
長崎県北高来郡飯盛町の船津を本拠にしていたのであろう。”
 
 
と考えられているようだ。