おひさしぶりですこんばんは。そして2017年、明けましておめでとうございます!
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調査スピードが落ちている「大塚氏」探しの旅ですが、今年もボチボチながら更新してゆきますので、よろしくお願い申し上げます。
さて、新年最初のNHK人気番組「ブラタモリ」で、今日は
千葉の浦安が取り上げられていましたが、 どうやらこの地は
大塚氏の宝庫
のようで(笑)
1時間の番組の中で
2組もの大塚さんが取り上げられていました。
ひとつめは、浦安市堀江の『大塚家住宅』
http://www.city.urayasu.lg.jp/shisetsu/bunka/bunka/1005589.html
http://www.urayasu-kousha.or.jp/bunkazai/otuka.html
で、 江戸時代末期の猟師さんの家が残されています。
(番組では砂利のかわりに貝殻が敷き詰められている様子が放映されていました!面白いですね)
もう一組は、元猟師の方がインタビューに登場していましたが、
この方も大塚さんでした。
どうも浦安の旧猟師町には、「大塚氏」がたくさんいるような気がします!
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さて、では浦安の大塚氏族のルーツは、どんな系統が考えられるでしょう。
浦安は、もともとは下総国葛飾郡に属する「浦安村」で、のちに「東葛飾郡」に分けられてしまいます。
この東葛飾郡には”大塚”に関わる地名は無いのですが、葛飾郡全体では、のちの「北葛飾郡」に当たる地域に
大塚村があったらしいことがわかっています。
北葛飾郡の大塚氏については、
埼玉苗字辞典 さんのサイト
http://saitama-myouji.my.coocan.jp/1-4o.html
によると、(葛飾郡大塚村=杉戸町なので、北葛飾郡杉戸町だと推定)
■ 平姓・河越氏の大塚氏
ではないか、という説が!しかし、次の項には、佐々木氏の領地であった関係から、
■ 佐々木氏から出た大塚氏
の可能性も示唆されています。
また「南葛飾郡」にも
大塚新田という地域名があったようで、こちらも気になります。
近代名士家系大観 さんのブログ
http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-12038348604.html
によると、南葛飾郡に大塚喜一郎さんという旧家の方がおられたようなので、こちらの家と大塚新田との関係も要調査です。
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葛飾郡全体に大塚氏が分布しているとすると、埼玉苗字辞典さんの記述が、なんとなく役に立ちそうです。(原文は古文なので、現代かなづかいでまとめてみます)
① 下総国葛飾郡大塚村・北葛飾郡杉戸町の大塚氏は、河越氏という豪族であった。
② しかし、河越姓も、もともとは大塚姓であり、下総国大塚城主となって大塚美濃守を名乗ったらしい。そして結城氏の家臣となる。
③ この系統の大塚氏の家紋は「三つ大」「鷹の羽」
④ ところが、この地域は佐々木氏の領地であることが気にかかる。
⑤ 佐々木氏は近江国蒲生大塚村より起こる。いわゆる佐々木流大塚氏である。
⑥ 佐々木氏から出た大塚氏なのか、それとも血縁なしの家臣なのかは判別しにくい。
⑦ ただし、佐々木に4人の家臣(息子)があって「金田・大塚・千代・坂巻」とのこと。
⑧ 佐々木から出て「大塚」を名乗った、という記録もいくつかある。
これらをまとめると、河越系大塚氏と、佐々木系大塚氏が、地場氏族と領主の関係からごっちゃになっている可能性がありそうですね。
四人の家臣の話は、伝承上の事柄と史実的な事柄が入り混じっているようで、播磨屋さんに詳しい解説があります。
播磨屋さんのサイト
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/syob_sas.html
私個人の感覚だと、近江佐々木系大塚氏より、河越系大塚氏のほうが、真実味がありそうな気もします(^^
というわけで、千葉の大塚さん!何かご存知のことがあれば教えてください。