2016年2月12日金曜日

南満州鉄道に勤務していた祖父を探す ~満鉄職員の調べ方~

 いつもは、大塚氏にまつわる氏族の研究をしている大塚某(とある)であるが、今回は特別編。


 南満州鉄道に勤務していた祖父の記録を探す、という壮大な調査へ出発したのである。



 南満州鉄道、と言っても若い方にはピンとこないかもしれない。日清日露戦争に勝った日本は、中国大陸の一部に口出しする(進出する)ことができるようになり、滅びた清の皇帝を担ぎ出して新しい国を作った、それが満州国であり、その満州のインフラ整備を進めるために作った国策会社が南満州鉄道である。


 その満鉄に勤務していた祖父は、つまりは本来長男ではなかったので、大塚氏先祖代々の土地を受け継ぐことができず、大陸へ渡った、というわけである。


 しかし、まあいろいろあって、実は最終的に祖父は、このブログでも書いているように、大塚氏累代の墓がある本家の家に住むことになるのだが、それはまた別のお話。




 さて、満鉄である。現在40代になった大塚某ぐらいになると、仕事で付き合いのある方や、あるいは個人的な知り合いで、


「私も満州生まれです」

とか

「父や祖父が満州にいました」

という方にたくさん出会う。


 実際に、うちの奥さん(まだかろうじて20代)ですら、祖父は満州で終戦を迎え、そのためシベリア抑留に遭っている。


 戦国時代どころか、まだ直接話を聞ける世代に、戦争の残滓が残っているというのは、とても貴重なことである。



 残念ながら、現在大陸の方々と政治的にうまく行っているとはいえない状況ではあるけれど、残念な歴史を繰り返さないことは重要だと思う。



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 さて、その満鉄に関わる祖父の記録の探し方であるが、私が東京方面に気軽に行ければ自分で調べたのだが、今回はすっかり調査をお任せすることになった。


 もし、あなたが満鉄職員の親族の記録を調べたい、と思うのであれば、あとすこしだけはそれを手助けしてくださる方がおられるので参考にしてほしい。




 満鉄会情報センター
http://www.01.246.ne.jp/~mateka/



 ↑上記財団は、もともと「満鉄会」という組織だったが、高齢化と資金不足で現在「満鉄会情報センター」として最後の活動を行っているところである。


 平成28年3月を以って解散が決まっているので、所蔵の資料は国立国会図書館に譲渡される。



 満鉄会のすごいところは、記録があるだけすべての職員名簿をデータベース化し、所属や業務内容、あるいは当時の給与などをまとめ挙げている点である。


 それも、コンピュータ管理ではなく、(昔の図書館を知っている人はわかると思うが)目録カード方式で個票管理なさっている。手作業である。


 今回祖父の情報は、満鉄会さんの職員さんの手で無事見つけ出され、満鉄から華北交通へ出向していたなどの詳しい動きもわかった。



 本当に満鉄会のみなさんのこれまでの活動には、敬意と感謝を感じるところである。



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 「満鉄」とひとくくりに言うが、実は中国大陸の鉄道網は、もう少し細かいジャンル分けがなされていたことを知るものはマニアであろう。


 しかし、そうは言っても結果的に、満鉄という一大コンチツェルンがそれらを大なり小なり管理支配していたので、それらをざっくり


 満鉄


のことばで表現するのはあながち間違いではない。


 そこで、もう少しだけその実像を説明しておこう。



【南満州鉄道株式会社】 ・・・いわずと知れた満州鉄道だが、その名前が示すとおり本来は私鉄である。その私会社の姿を持って、満州国内に鉄道のみならずありとあらゆるインフラ整備を行っていったのが、当時の日本である。


【満州国有鉄道】 ・・・日本に国鉄があったように、満州国にも国鉄があった。しかし、建設や運営には満鉄が当たっていたから、厳密な意味で国鉄が独立して運用されていたわけではない。やはり満鉄の支配下にあったとすべきである。


【華北交通】 ・・・満鉄はぶっちゃけ、満州国内の鉄道である。そのため、満州国を出て、中国大陸に向かう場合は、名実ともに国家が異なるわけなので、満鉄がそのまま進出するわけにはいかない。そこで、中国国内の占領地域は、満鉄子会社の華北交通がその任を担った。

【華中鉄道】 ・・・華北は日本軍の占領度合いが強かったが、華中鉄道の場合は、なんと日本と中華民国政府・南京国民政府との合併特殊法人となっていた。実体としては日本の国策会社ではあるのだが、たてまえ上は、異なる国の異なる鉄道となっていた。



 ちなみに、若者には理解できないかもしれないが、こういうのもあったのでご参考まで。


【朝鮮総督府鉄道】 ・・・朝鮮半島を走る鉄道であり、南満州鉄道へと接続していた。当時の朝鮮は、日本統治下であり、満鉄や華北・華中鉄道とは大きく異なり、別の国の鉄道ではなくあくまでも日本国内の鉄道である。



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 南満州鉄道といえば、特急あじあ号が有名だが、

(写真はウィキペディアさんより)


 祖父は蒸気機関車の機関士だったので、おそらくパシナ型機関車を目にしていると思う。

 特急あじあは、最初に「超特急」と呼称された列車であり、この機関車の技術が最終的には新幹線につながるという


 新幹線にとってのルーツ


でもある。



 戦時中日本は、「大東亜縦貫鉄道」などを構想していたが、2016年の今になって新幹線の北海道延伸が実現するくらいだから、


 満鉄の歴史は今も続いている


とも言えるわけで。








1 件のコメント:

  1. お世話になっております。

    私の祖父について調べております。
    祖父は熊本の国鉄職員で、
    出向により南京に行っていた
    と聞いております。
    住民票を取ってみたのですが、
    南京市の特務機関の住所になっておりました。
    祖母の話ですが、祖父は南京時代に腰に刀と拳銃を持って仕事に行っていたらしいです。
    祖父は堀川友次郎と申します
    終戦後の1945年11月に佐世保にて日本の土を踏めたと聞いております。

    どこに聞いたら良いのか解らず、ご連絡させて戴きました。

    メールにて連絡戴ければ幸いです。宜しくお願い致します。
    maki081208120812@gmail.com

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