2015年8月6日木曜日

<115>新発見!ついに見つけた「大友氏流大塚氏」 大友から出た大塚氏が見つかった!

 前回の記事で、豊前や豊後に着目しながら、いわゆる


 どう考えても少弐系じゃないよね、な大塚氏


についてスポットを当ててきたのだが、いよいよ大発見である!



 なんと、なんと、あの中世九州の大モノ中の大物、大友氏から出た大塚氏を発見したのである!!


 いやー、これはまさしくヒバゴンとかビッグフットとか、ツチノコ級の発見といってよいだろう。



 なんといってもあの大友氏の末流なのだ。たしかにこれまで家臣団の中に大塚氏がいたことはわかっていたが、まさか


大友氏の直接の子孫に大塚がいる


とは思わなかった!



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 その資料はこちらにある。



 直入郡志
 https://books.google.co.jp/books/about/%E7%9B%B4%E5%85%A5%E9%83%A1%E5%BF%97.html?id=rxMzC-q8p6oC



 直入郡とは現在の大分県竹田市にあたり、この地域にも大塚さんがたくさんおられる。


 さっそく記事をみてゆこう。


 P146

 【満徳寺】 豊岡村鏡にあり、真宗大谷派本願寺の末寺にして阿弥陀如来を本尊とす。

 大友能直十一代の孫右宗亮親著の庶子に大塚親左衛門親右といふ者あり。

 応仁丁亥元年、本願寺第八世蓮如上人に帰依し、剃髪して了善と改名せしが、文明庚寅二年、師上人より一寺建立を許容せられ、寺号満徳寺を賜ひ同丙甲八年荻村字馬場に一寺を創建す。

(以下略)



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 パターンは、なんとなく少弐系大塚氏と似ている。


 大友親著 ウィキペディアより
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E8%A6%AA%E8%91%97



 大友親著は室町時代中期の大友家当主であるから、一応直系。”親”の字を貰っているあたりが、いかにも庶子っぽい。


 本庄予賀神社(+神宮寺)の宮司別当になった大塚氏のように、大友家から出て宗教ネットワークを押さえるために出家した人材だと推定できるが、実際その後の満徳寺は隆盛したようである。



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 この話と別に大塚氏に関する話が、もう一つ直入郡志には載っていて、そちらはこんな話である。


 P134

 【村社大塚八幡社】 菅生村大字戸上にあり、応神天皇・玉依姫命・菅原神を祭る。加藤家熊本退城の際、その家臣大塚某戸上村へ来たり、駄原ヶ城を築き居る。その守護神として八幡の神を祭れるものなり、と伝ふ。



 たしかに、加藤清正の家臣団にも大塚の名はあるのだが、気になるのは駄原ヶ城のほうだ。

 
 竹田の駄原城といえば岡城の支城であり、志賀氏とその城代朝倉氏が守っていた。

 天正14年には島津VS大友の「岡城の戦い」「駄原城の戦い」が起こっており、「駄原城」の成立由来は少なくとも戦国期に遡る。(岡城そのものは鎌倉期に成立)


 加藤家が熊本を去るのは三代、寛永9年のことなので時代が錯誤すぎる。なので、この話そのものはかなり誤解があるように感じられるのだがいかがだろう。



 なるべく史実に近い解釈をするならば、大塚某は、本来大友氏とその子孫である志賀氏に関連野ある「大友系大塚氏」なのではなかろうか。


 
 ウィキペディアより 岡城
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%9F%8E_(%E8%B1%8A%E5%BE%8C%E5%9B%BD)



 あるいは、岡城にまつわるエピソードでは、文禄の役で小西行長を見捨てて大友氏が所領没収の罰を受けた際、志賀氏が岡城を追い出されているので、それと混同が起こっている可能性もある。

 

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 いずれにせよ、大友氏系列の大塚氏の存在が明らかになった今、豊前豊後の大塚氏は、一気に大友系で推定できるようになったというものだ。わっはっは。


 というわけで


 家紋、抱き杏葉の大塚さん、連絡ください!!




<114>福岡藩黒田家臣の大塚氏についての仮説 ~豊前国宇佐・中津を中心に~ 官兵衛ちゃんと大塚氏

 さまざまな人のデータ提供、情報提供もあって、おぼろげながら福岡藩大塚氏の構成・成り立ちがわかってきた今日このごろ。


 話がバラバラにならないように、ちょいとまとめておきたい。



 福岡藩というのは、言わずとしれた「黒田官兵衛ちゃん」と息子の「長政」によって率いられた黒田家とその家臣団である。


 で、黒田氏そのものは、播磨からやってきている。このブログでは通説の近江出身黒田氏説ではなく、播磨出身黒田氏説を採っているが、その家臣団には播磨の人が多いことが判明している。


 黒田家の分限帳によれば、数氏の大塚氏が見つかるが、その中には「源氏の大塚」「平氏の大塚」「それ以外」と大きく3パターン以上の大塚氏が見つかっている。


 さて、それらの中で、


①播磨からやってきた大塚氏


も当然見つかっているし、可能性として


②最初に入封した豊前中津から従った大塚氏



③筑前福岡に入ってからの大塚氏


がいてもおかしくない、と考えている。



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 さて、播磨姫路系大塚氏については今回は触れないが、豊前国にいた大塚氏とはどのような存在だったのか。これまでにもいろいろと調査をしているのだが、これまでははっきりした実像が浮かんでこなかった。


 ところが、今回、氏族からではなく、地名関係から推測できそうな新発見があったので、今日はそのあたりのお話をしようと思う。






☆参考までにこれまでに挙げた豊前系大塚氏についての考察はこのへんに↓


 宇佐八幡と大塚氏
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/07/blog-post_2.html


 大友家臣、朽綱系大塚氏
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html

 
 宇都宮(伊予・大木)系大塚氏  秋月氏流大塚氏
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html

 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2015/04/blog-post_23.html




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 さて、まずは宇佐八幡に関係しそうな大塚氏について、新しい資料が発見されたので挙げておきたい。



東京大学史料編纂所 宇佐永弘文書調査 のページより
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/22/saiho_usa%20nagahiro%20monjo.htm



 めちゃくちゃ長いので検索をかけてもらうとよいのだが、宇佐神宮の荘園である、豊後国田染庄


大塚二郎五郎


という人物がいた記録である。この田染荘は現在の豊後高田市に当る。


 豊後高田というのは、宇佐の隣なので、もしかすると宇佐八幡関係で登場した大塚氏と関係があるかもしれないということで、さらっと記憶しておこう。


 ちなみに、豊後高田には其の名もズバリ「大塚古墳」という史跡もあるので、宇佐地域の大塚氏はむしろ豊後高田発祥という可能性もないわけではない。



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 さて、上の話はさらっと流しておくが、氏族ではなく地名から攻略すると面白いことがわかってくる。


 実は宇佐市に大塚という地名があるのだ!


 また、これまたついでだが、


 中津市にも大塚という地名があるのだ!


(旧国名ではそれぞれ、豊前国宇佐郡大塚村、豊前国下毛郡大塚村になる)


 まあ、中津のほうはもともと中津城が大塚山という場所にあるので、そちらとも関連するのだが。



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 そうすると、これらの地名に由来する従来からの氏族「大塚氏」が存在した、と仮定しても全然おかしくないと思うのだがいかがだろうか?



 宇佐地域にいた大塚氏は、そもそも地場の大塚氏であり出自不明。


 中津にいた大塚氏も地場の大塚氏で出自不明。(ただし、こちらは黒田氏に従ったか)



という目線で見ることも、あながちハズレではないような気がする。




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 補足的な言い方をすれば、北肥戦誌において少弐氏の末流たちは「それぞれ肥筑地方にはびこり」とあるわけで、文字通り、肥前肥後・筑前筑後にいる大塚氏は少弐系の可能性がある、と読めば



 当然、豊前豊後は除外されてしかるべき



というわけである(笑)




 しかし、今回の話は物証・実証拠がないのであくまでも仮説ね。仮説。


2015年8月5日水曜日

【情報日本文学会 会報 1】 コンピュータに面白い小説は書けるのか? 

 夏真っ盛り、みなさんいかがお過ごしでしょうか?


 漢字で書けば大塚某こと、大塚とあるです。


 勝手に名乗り、勝手に始めた「情報日本文学会」なる”学会?!”なるものの第一弾です。

 本人はいたってまじめに取り組んでいますが、そのうちころ良い加減に力が抜けると思うのでよろしく。

 まあ、”と学会”のようにゆるーくやりたいと思っております。



 ☆ と学会 ・・・トンデモ本を批判的に楽しむ某団体。
 http://www.togakkai.com/



 いいよねー。あのまじめさとユルさの中間ぐらいのノリが好き。



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 というわけで、今回は、現代ビジネスさんに面白い記事があったのでそのあたりを。


 コンピュータに「面白い小説」は書けるか
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44477



 今村友紀さん、海猫沢めろんさんという二人の作家の対談なのですが、今村さんという方は、カンタンに言えば、


「売れる小説の設定や要素をパターン化して再構築すれば、半ば自動化された”ヒット小説”が作れるのではないか?」


という考え方で実験をなさっているそうです。


 いやあ!面白い。まさに「情報日本文学」にふさわしい発想ですね。


( 実は私も、ちょっと傾向と対策は違うのですが、似たようなことをずっと考えていて、近々それに基づいたネタをひとつ公開する予定なので、こういう話はわくわくします。)


 実は上の記事と似たような話はすでに存在していて、アメリカのハリウッド映画の脚本なんかでは、

「スタートして何分でこういうことが起きて、それから何分で主人公にアレが起きて、その後第三者が出てきて・・・」


という魔法のセオリーみたいなものが決まっていて、だいたいそれに沿っていれば面白くて売れる映画になるという話を聞いたことがあります。ほんまかいな。


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 しかし、そうしてパターン化された創作物は、作家の個性というか心のようなものが入っていないのだとすればどうなの?!という疑義があります。

 それを、記事では「作家の魂」と表現していますが、読者はやっぱり魂を求めるのではないか、ということです。


 この問いへの答えは、みなさんにもいろいろ意見があろうかと思いますが、大塚某的には、


「案外、人間ってのは魂がなくてもパターンで感動し、面白いと感じちゃうんじゃないの?」


と思ってます(爆笑)


 というのも、大塚某は、このブログではほとんど正体を明かしていませんが、別の活動で

 「映像作家の真似事」のようなことをしたり、「台本のようなもの」を書く仕事に関わったり、「音楽製作に関するアーチストの真似事」のようなことをしたりしている

 ので気づくのですが、映像にしても筋書きにしても

 「物語の中の誰かが死んだら、客は泣く」

し、音楽ひとつにとっても

「カノン進行で曲を作ったら、それらしく聴こえる」

というセオリーが存在するので、人が感動したり心が震えるポイントなんて、実は狭いのじゃないか、と思っているわけです。


 面白い話があって、私が審査員として携わっていた、とある「青少年の主張」みたいな意見発表の場があったのですが、 若者が次々に登壇しては「感動的な話」をするわけです。

 自分の家族がどうとか、親がどうとか、あるいは自分の境遇はこうだけど頑張る、みたいな「お涙頂戴」の話が次々に繰り出されるわけですが、出場していたオトコの子がぽつりと控え室で言ってました。


「・・・いったい、今日何人死んだんやろな」


と。


 彼はお父さんが亡くなって辛い思いをしており、その話を壇上でしたのですが、そんな当人が、「この大会では一体何人死ぬんだ」と苦笑するほど、まあ出場者の家族が次々に死んだ話をするというのは、ある種パターン化された


「いい話」「感動する話」


が存在するという証でもあるでしょう。


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【情報日本文学会 今日の研究1】

 
  えーっと、後半戦は学術的なお話。


 この世に出ているすべての書籍をアーカイブしてデジタル保存しよう、というとんでもない取り組みをしている集団がおりまして。

 実現したらすごいことになるだろうなあ、と思っているのですが、そんな世界征服みたいな真似事をしているのはもちろん


 グーグルさん


に他なりません。


 当ブログでも取り上げているいろんな学術書や貴重書のたぐいがありますが、グーグルさんはすでにデジタル化を済ませており、今日はその実例をご紹介してみましょう。



 歴代鎮西要略
 https://books.google.co.jp/books?id=QJZHAAAAMAAJ&hl=ja&source=gbs_book_similarbooks



 上のリンクには、グーグルブックスにおける「歴代鎮西要略」が収納されていますが、これだけではデジタルテキストとして読むことはできません。

 しかし、検索窓がついているので、そこに文字を打ち込めば、その文字が含まれているかどうかの検索はできるようになっています。

 たとえば「大塚」と打ち込むと、全6件中3件の回答が上がってきます。


 ところがよ!!!


  でもでも、この全文検索は不十分で、どうやら全文スキャンはされているものの、OCRの精度が低く文字化けがたくさん存在するので、「大塚」が完全に抽出されるわけではないのです。

 なので、現時点ではあまり役に立たないのですが、情報日本文学会的には、こうした資料の全文テキスト化計画はぜひどんどんやってほしいものです。


 まあ、権利関係もあるので、すべてを無料公開するわけにはいかないとは思いますが・・・。



例)「歴代鎮西要略」のグーグルブックス版は、2007年にミシガン大学にあった本を全文スキャン&デジタルOCR読み込みをしていると考えられる。

しかし、版元の文献出版(現存する企業さん)が、無料公開を許可していないので、デジタルファイルを閲覧することができない。

また、OCRについても読み込んだのみで原本との照らしあわせができておらず、かなり不完全。



 当ブログではこれまでにも、デジタル公開されている資料や検索できるエンジンを発掘してはじゃんじゃん利用していますが、こういうものを探す技術、使いこなす技術がまず大事かな~なんて思いますです。はい。