2015年1月10日土曜日

『大宰少弐武藤氏 ~その栄光と衰亡~』渡辺文吉 を読む ”大塚氏の発見はいつか?”

 ずっと読みたかったのですが、古本であまり出ていなかったので未読だった


『大宰少弐武藤氏 ~その栄光と衰亡~』 渡辺文吉 1979


をようやく読むことができました。


 中世九州の一大名族である「少弐」氏の概略を知る本、というのは意外に出版されておらず、基本的には、上記の本と、あと一冊


『武藤少弐興亡史』 渡辺文吉 海鳥社 1989


がありますが、この2冊がもっともベースを押さえた物、と言えるのではないでしょうか。



 ちなみに、少弐関連資料の一覧は


太宰府市のサイトより
 http://www.city.dazaifu.lg.jp/download/nenpo4-72-84.pdf#search='%E6%AD%A6%E8%97%A4%E5%B0%91%E5%BC%90+%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%96%87%E5%90%89'



にあり、たいへん参考になります。


(ところが、このリストに上がっている文献の大半は、少弐氏を部分部分で取り上げたものが多いため、やはり概論として少弐氏の全体像を知るには、渡辺文吉氏の2著がベターということになるでしょうか)


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 さて、上記の本を読みたかったのは無論、「大塚氏」についての取り扱いがどうなっているのかを知るためです。

 ところが、興味深いことに、渡辺氏はこの時点では少弐庶流の「大塚氏」についてまったく言及していません。

 各系図の添付もあるのですが、そこに「馬場・横岳」などの他の諸流についての始祖等について言及されているのに、なぜか

大塚

氏について記載がなかったのです。


 「北肥戦誌」や「歴代鎮西誌」を知っているものならば、当然「大塚氏」が少弐関連庶流であることには気付くのですが、渡辺氏は、1979年の段階では、あえてそこには踏み込んで書かなかったということになるでしょう。



 一方、「武藤少弐興亡史」になると、添付系図に「大塚四郎氏提供」の大塚系図が収録されるようになり、渡辺氏はこの時点で少弐諸流としての「大塚氏」を論説に組み込むようになります。


 つまり、1979年から1989年の10年間の間に、少弐大塚氏は「歴史上、再発見された」といっても過言ではないかもしれません(笑)


 それほどまでに、当家を含む北部九州の大塚氏は「謎につつまれていた」のです。



 ☆ちなみになぜ「発見」じゃなくて「再発見」かと言うと、もっとも最初に発見したのは


 馬渡俊継



 犬塚盛純


の二人だと言えるからです。


 馬渡俊継は正徳年間に北肥戦誌を書きますので、その時には「誰かからの聞き書き」もしくは「なんらかの資料」を所持して「大塚氏は少弐の末裔」ということを明示するわけです。


馬渡(もうたり)氏の系譜については


匡隆信朋 さんのサイト
http://nob7ba.web.fc2.com/nob/hai02.html


にかなり詳しいので、ご参照のこと。


 一方、犬塚盛純は元禄年間に「歴代鎮西志」を書きますが、こちらは少弐貞経の息子に大塚氏祖を据えているため、何らかの「系譜のはしきれ」のようなものを見たか書き写しているはずです。

 ところが、その原典が現存しているかどうかは定かではなく、あるいは口伝によるものだったのかもしれません。

 
 
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 それではここで、少弐系大塚氏が、近現代においてどのように再発見されたかを時系列で読み解いてみたいと思います。


<刊行年一覧>

 『国史叢書 北肥戦誌』 全2巻    1918(T7)
 
 肥前叢書 第一巻            1937(S12)  

 肥前叢書 第二巻(北肥戦誌収録)  1939(S14)

 『大宰少弐武藤氏 ~その栄光と衰亡~』 渡辺文吉 1979(S54)

 「少弐氏と宗氏 第3号(大塚系譜収録 大塚四郎提供)」 1984(S59)

 『武藤少弐興亡史』 渡辺文吉 海鳥社 1989(H1)

 歴代鎮西志 1992(H4)



 まず、国史叢書版「北肥戦誌」が大正7年に出ます。この時点で「大塚という苗字が少弐氏に関わりがあるらしい」というところまでは一般書として表に出てきます。


 ところが、そこから渡辺文吉氏の最初の著作「大宰少弐武藤氏」までは、おおきな進展がなく、大塚氏はまだ埋もれたまま推移していました。


 しかし、渡辺氏の研究グループである”少弐・宗体制懇話会”の研究によって、佐賀の大塚氏が所有する系譜が発見されます。

 その資料が初出となったのが「少弐氏と宗氏第3号」であり、この時点で少弐大塚氏の系図発見が表舞台に出てきたわけです。


 渡辺氏の第二の著作「武藤少弐興亡史」では、この成果が引用されていますので、少弐=大塚ラインはさらに一般に広く知られるようになってきました。


 念押しのように、平成4年には佐賀藩門外不出の「歴代鎮西志」が完本として表に出てきます。これで、一般の研究者にとっても、少弐=大塚ラインの存在が容易に確かめられるようになってきたというわけです。



 つまり、少弐=大塚ラインは、歴史研究の上で再発見されてたった30年くらいしか経っていない新しいデータだということです。

 私はいま40歳ですから、私が10歳の頃には、研究者のほとんど誰も「大塚の由来」を知らなかった、ということになります。

 だからこそ、太田亮氏・千鹿野茂氏らの先行研究に少弐系大塚氏の存在が出てこなかったのです。 



 そして今、ネットというツールを通して、ワタクシ大塚某がこの論説をバリバリ広めようとしておりますので、ぜひみなさんもその輪に入ってくださいね(笑)


 少弐大塚氏は発見されてまだまだ30年しか経っていない最先端の研究分野です。


 ぜひ!別系統の大塚系譜をお持ちの方がおられたらご連絡ください!


 

 


2 件のコメント:

  1. >再発見されてたった30年くらいしか経っていない新しいデータ

    それで今まで他のサイトでも大塚氏を扱ってるのがなかったんだ~
    となると大塚様は文字通りの第一人者ですね^^/

    自分の研究が亀なみの鈍さなので、殆ど協力できてなくてすいません(´・д・`)
    これからも応援します^^/

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  2. そうなんです!なんで北部九州の大塚姓について誰も言及しておらず、ただ「筑前・筑後などに大塚姓は分布がある」みたいな漠然とした書き方をしていたのか不思議だったのですが、だんだん謎が解けてきたように思います。

    歴史に関わる内容は、すでにたくさんの人が多くを明らかにしているようでいて、実はわかっていないことがたくさんあるので、若い人たちにまだまだロマンが残っているように思います(^^

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