2015年1月16日金曜日

<100>三潴地方の「益田」さん 

 当家の大塚氏のルーツについて研究する上で、見逃せないデータというのがある。

 それは、同じ地域やムラに存在する大塚以外の姓氏についての分布なのだが、たとえば当家大塚氏の周辺に

 ”吉田” ”馬場” ”古賀”

といった姓が多いことから「ん?どうやらこれはみな少弐由来の苗字が固まっているぞ」というような考察を加えることが可能になるわけだ。


 さて、そうした中で今回特に注目したいのは、私の実家エリアでいえば大塚氏についで多い「益田」という姓についてである。


 もちろん、上に挙げたような吉田馬場古賀などの苗字も多いのだが、件数的には「益田」姓はそこそこの分布を誇っている。


 さあ、では三潴地方における「益田」姓とはいったいどのような氏族なのであろうか。


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 日本全体における「益田」氏の動向は、やはり何をさしおいても島根県の「益田」氏がビッグネームだと言えるだろう。


 現在でも島根には「益田市」が存在するように、益田という氏族や地名は島根では有名である。


 益田市のサイトより

 http://www.city.masuda.lg.jp/kanko/masudashi_01.html


 上記のとおり、益田市のサイトでは「益田氏」について本姓藤原氏であり、石見国司として赴任した氏族の末だと解説されている。


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 そのため、益田・増田姓はどうしてもこの島根益田氏との関連がまっさきに議論されるのだが、当家周辺のいわゆる「三潴益田氏」は、島根系ではないように思われる。


 では、いったいこの益田氏はどこ由来なのであろう。


 その一つのヒントが、やはり肥前にある。


 古樹紀之房間さんのサイトより


 肥前益田氏の系譜
 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/masuda.htm


 
 私も未調査だったのでついさっき知ったのだが、佐賀の与賀に「増田」さんがおられるという。


 与賀・本庄といえば、肥前研究では「ど真ん中ストライク」みたいなもので、少弐=龍造寺=鍋島軍団の「本拠地」そのものみたいな場所にあたる。


 そこに「増田」さんがいて、当家大塚氏の周辺に「益田」さんがいるというのは、なかなか面白い!


 管理人さんの解説では、(もうほぼ全部書いてくださっているのだが)


『藤原姓高木氏流、益田氏』


というものが存在するらしい。


 この高木氏、なんと肥前一の宮「河上神社の宮司」の一族だと言う。


 さがの歴史・文化お宝帳
 http://www.saga-otakara.jp/search/detail.php?id=1819


にかなりくわしいことが載っているのだが、高木氏こそが肥前龍造寺の地頭を命じられ、そこから益田をはじめ龍造寺氏本体をも生んでゆくルーツなのである。



 もう、河上神社が出てきたあたりで、当ブログファンはズッキュン頭を打ちぬかれた気分になっているはずだが、そうなのだ。


 いわゆる肥前一の宮をどこに見るか、という古代神社系支配史を検討するに当たって、古い時代は「河上社」に権力があり、そこから「与賀・本庄神社系」へと権力が移動してゆくのが、佐賀の権力構造を見る上でのバックグラウンドそのものなのである。


 河上社の宮司が高木氏 そしてその末裔の益田氏

 本庄神社の宮司は大塚氏

 与賀神社の宮司は千布氏 神代氏の嫁の実家


 もう、なんとなく全容が見えてきたじゃん!!


 私の実家のエリアのほぼ大半の姓氏が、「少弐=龍造寺ライン」の本流に近いところばかり集まっているのはもう偶然ではないってことであろう。


 こうなると、ムラのすべての苗字を再検討するぐらいの勢いがほしいところだが、こりゃ本当に、うちの実家の周囲は


 佐賀勢の三潴における兵団駐屯地


だったのだということが伺えるというものである。


 

2 件のコメント:

  1. >この高木氏、なんと肥前一の宮「河上神社の宮司」の一族だと言う。

    途中から肥前千葉氏が河上大宮司職をゲッツして勢力拡大期に入るんです^^

    >与賀神社の宮司は千布氏

    ここが自分は史料未確認なんです^^;
    何時ごろの話なんでしょうか^^;

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  2. 詳細メールにて送っております(^^;;

    河上神社・與賀神社・本庄神社の関係は謎が謎を呼ぶ展開で目が離せません!

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