すでにご承知の通り、当ブログでは北部九州の大塚姓・大塚氏に執拗な(笑)リサーチを重ねており、というわけで、福岡の大藩、黒田官兵衛ちゃんの「福岡黒田藩」についても特に念入りに調査しているところである。
で、これまた復習になるのだが、福岡藩に所属していた大塚氏に2氏、宮本武蔵の剣術を受け継いだ「二天一流」のワザを伝授されたものがいる、という話は既出の通り。
これまでも、何度かこのネタをお届けしているので、少しだけご参照いただこう。
<53-1>宮本武蔵と大塚氏 前編
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/04/blog-post_21.html
<53-2>宮本武蔵と大塚氏 後編
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/04/blog-post_24.html
<調査中>福岡県直方地方の大塚さん
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/11/blog-post_7.html
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さて、このたび、福岡藩の「二天流」を継承した大塚氏のうち
<53>の分限帳に登場する大塚作太夫にゆかりのある方から貴重な情報をいただいた。
その方は、母方の先祖に「大塚作太夫重威」という人物がいて、その子孫に当たるということだったのだが、これがなかなか興味深い。
武蔵研究では超絶なデータ量を誇る
宮本武蔵 (丹治峯均筆記)さんのサイト
http://www.geocities.jp/themusasi2de/houkin/d100.html
によれば、新免武蔵守玄信(みやもとむさし)にはじまる剣術の流派は、福岡藩の
大塚作太夫重寧―大塚初平藤郷→
と伝達されて大塚派を形成する。
また、おなじく
宮本武蔵 (五輪書異本集) さんのサイト
http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/gs00.html
によると、大塚派の詳細は五輪書の継承記録から
大塚重寧→ 大塚藤郷→ 大塚重庸→ 大塚重任→ 大塚重正
であることがわかる。
この時、誰が「作太夫」を名乗ったかについては不明だが、興味深いのは、ご連絡を下さった方の先祖「作太夫重威」と名前が異なる点である。
となると、重寧は作太夫であったことがわかっているので、おそらく重威は、重寧の父親だったのではないか、と推測したのだが、どうやら逆に重正のあとの可能性が高い。
ご連絡を下さった方の考察では、「15代の作太夫」であり、もっとも年代が若いのではないか、ということだが、恐らくその可能性が正しいと思う。
これまた同じく
宮本武蔵(異本集 水之巻)さんのサイト
http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/gv02.html
の大塚一族の最後「追記」として「作太夫重威」の名前が載っている。明治2年。
ぜひ機会があれば作太夫家の系図かなんかを探してみたいところである。
さらに興味深いのは、大塚藤郷以外、基本的に「重」の通字をみな使っていることから、おおむね大塚派の二天流は家督を継いだもの・近しい身内に継承されているのであろう。
というわけで、大塚作太夫にゆかりの方があれば、ぜひご連絡いただきたい!
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☆ 大塚某のお送りする苗字ルーツ解析 ☆
先日よりココナラさんでスタートさせていただいた
『苗字・名字の由来と先祖探し・ルーツ探しのアドバイス』
https://coconala.com/services/41874
少しずつ依頼いただいております。
”大塚”だけ調べているみたいに思われてますがそんなことありません(笑) どんな苗字でもリサーチします。
すでに5組の方に高評価を頂いております。自分のルーツにご興味のある方はぜひどうぞ。
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