2013年12月29日日曜日
<18>【第四グループ】その他の地域の赤松系大塚氏
これまで、主に播磨を出自とする赤松支流大塚氏の動向について判明してきたのだが、どうも播磨から九州以外の地域に移動した大塚氏がいるらしい、ということがおぼろげながら見えてきている。
いわゆる第4グループの大塚氏が、どういう流れで他の地域に移動したのかは、まだはっきりしていないが、今後も調査してゆきたい。
さて、以前にも、この流れの大塚氏に「幕臣が出ていた」ことを指摘なさっている方(千鹿野茂さん)がいたことは書いたが、それ以外にもちょっとした事例が見つかっている。
「大塚ひかり」さんという古典に詳しい著述家の方がおられるのだが、彼女は結婚なさっているものの、旧姓が「大塚」さんなのだという。
ウィキペディアより 「大塚ひかり」さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E3%81%B2%E3%81%8B%E3%82%8A
その大塚ひかりさんと僕は面識があるわけではないが、彼女の著作のとある一冊の中で、ちょっとだけ「家紋」の話が出てくる箇所がある。
その家紋が、どう見ても「抱き茗荷」なのである。
彼女はあまり意識しておられないかもしれないが、関東のご出身だそうなので、だとすれば赤松支流大塚氏が、関東に進出している、ということのちいさな証拠になりそうな気配がする。
実は関東系には他の有力な「大塚氏」がいるので、その中に混じってしまっているのだろうが、赤松系と関東の関係が明らかになってくれば、これはちょっと面白くなりそうだ。
★関東の大塚さんで、抱き茗荷紋の方、ぜひお話をきかせてくださいね!
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