2013年12月30日月曜日

<20>播磨国大塚、はいくつある?

 そもそも、苗字というのは地名と密接に結びついている。ある苗字の一族が別の名前を名乗るようになるには、「とある土地」に住んだから名前を変えた、ということが多々ある。

 そこで、大塚氏が「大塚」の名を地名から取ったと仮定して、播磨の国に「大塚」の地名があるののかどうかは調査することは有効だと考えられまいか?

 残念なことに、現在播磨周辺で「ここから大塚氏がはじまった」という記録は見つかっていないが、ある程度の「想像」することは可能だと思う。

 幸い関西在住の僕にとって、播磨、つまり姫路を中心とする兵庫県一帯を調査することは、それほど難しいことではない。


 よって、いくつかの「大塚」の地を想定しながら、調査が始まったのであった。



【1】 三木大塚とその周辺


【2】 三木 高木大塚城


【3】 但馬と大塚の関係


【4】 加古川 宮山大塚古墳


【5】 加古川 日岡山(大塚)古墳群


【6】 赤穂 尾崎大塚古墳群


【7】 その他


 兵庫県において、大塚氏の由来に関わりがありそうな地域というのは、上の7つほどに大別できる。

【1】~【3】までは、概ね中世から江戸期まで、【4】~【6】まではより古代にかけての時期がポイントとなる地域である。


 赤松一族の隆盛を考えると、個人的には【1】の三木市大塚地区が「あやしい?!」と思うのだが、いずれも「ここぞ」という確証に欠けることは否めない。

 というわけで、次回以降、もう少し各地区について詳しく見ていこう。


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