播磨の国に残る「大塚」の地名的考察を続けている最中だが、加古川市にも2つほど「大塚」に関する地名的遺跡が残っているので調べておくことにする。
まずは、「宮山大塚古墳」 なるものがあるという。
ウィキペディアさんより 宮山遺跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1
前方後円墳「宮山大塚古墳」は直径40mのまあ、それなりのサイズの古墳である。その周囲に小さい古墳がいくつかあるそうで、古墳時代の葬送地なんだろうなあ、というぐらい。
考古学に詳しい方が調べてみても、あまりたいしたデータがないそうである。
まぁ坊の思いつくまま考古学日記 さんのブログより
http://blog.livedoor.jp/marbow_archeo/archives/51877892.html
プロのまぁ坊さんからみても難しい古墳なので、素人の僕なんかでは手も足もでません(^^;
このあたり一帯は他にも古墳群がたくさんあるので、いわゆる古墳時代に栄えていたんだろうなあ、と思うが、そこから室町期前後にはちょっと飛びすぎかな。
おなじく、近くにあるのが、「日岡古墳群」で、ここは現在、日岡山公園という公園になっているらしい。
大きいのが宮内庁管轄の「日岡陵」で、景行天皇の奥さんが祀られているらしい。
ウィキペディアさんより http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%B2%A1%E9%99%B5
この地には、日岡陵の他にいくつかの古墳があるのだが、 「南大塚」「北大塚」「西大塚」古墳という、まあ「大塚」な名前がついている(苦笑)
古墳 さんのサイトより
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4702/hioka.html
↑上の方が詳細な現地レポを上げてくださっているのだが、やっぱりそれ以上のことはわからないよなあ、という率直な感想。
いずれの遺跡についても言えるのだが、さすがに古墳時代に目を向けると、文書としての記録がないものだから、平安末期以降に武家に一般化した「苗字・姓氏」と結びつけるのが難しい。
というわけで、もやもやした気持ちだけが残ったまま、「加古川」地域については保留、ということになってしまった。
2014年1月2日木曜日
2013年12月30日月曜日
<20>播磨国大塚、はいくつある?
そもそも、苗字というのは地名と密接に結びついている。ある苗字の一族が別の名前を名乗るようになるには、「とある土地」に住んだから名前を変えた、ということが多々ある。
そこで、大塚氏が「大塚」の名を地名から取ったと仮定して、播磨の国に「大塚」の地名があるののかどうかは調査することは有効だと考えられまいか?
残念なことに、現在播磨周辺で「ここから大塚氏がはじまった」という記録は見つかっていないが、ある程度の「想像」することは可能だと思う。
幸い関西在住の僕にとって、播磨、つまり姫路を中心とする兵庫県一帯を調査することは、それほど難しいことではない。
よって、いくつかの「大塚」の地を想定しながら、調査が始まったのであった。
【1】 三木大塚とその周辺
【2】 三木 高木大塚城
【3】 但馬と大塚の関係
【4】 加古川 宮山大塚古墳
【5】 加古川 日岡山(大塚)古墳群
【6】 赤穂 尾崎大塚古墳群
【7】 その他
兵庫県において、大塚氏の由来に関わりがありそうな地域というのは、上の7つほどに大別できる。
【1】~【3】までは、概ね中世から江戸期まで、【4】~【6】まではより古代にかけての時期がポイントとなる地域である。
赤松一族の隆盛を考えると、個人的には【1】の三木市大塚地区が「あやしい?!」と思うのだが、いずれも「ここぞ」という確証に欠けることは否めない。
というわけで、次回以降、もう少し各地区について詳しく見ていこう。
そこで、大塚氏が「大塚」の名を地名から取ったと仮定して、播磨の国に「大塚」の地名があるののかどうかは調査することは有効だと考えられまいか?
残念なことに、現在播磨周辺で「ここから大塚氏がはじまった」という記録は見つかっていないが、ある程度の「想像」することは可能だと思う。
幸い関西在住の僕にとって、播磨、つまり姫路を中心とする兵庫県一帯を調査することは、それほど難しいことではない。
よって、いくつかの「大塚」の地を想定しながら、調査が始まったのであった。
【1】 三木大塚とその周辺
【2】 三木 高木大塚城
【3】 但馬と大塚の関係
【4】 加古川 宮山大塚古墳
【5】 加古川 日岡山(大塚)古墳群
【6】 赤穂 尾崎大塚古墳群
【7】 その他
兵庫県において、大塚氏の由来に関わりがありそうな地域というのは、上の7つほどに大別できる。
【1】~【3】までは、概ね中世から江戸期まで、【4】~【6】まではより古代にかけての時期がポイントとなる地域である。
赤松一族の隆盛を考えると、個人的には【1】の三木市大塚地区が「あやしい?!」と思うのだが、いずれも「ここぞ」という確証に欠けることは否めない。
というわけで、次回以降、もう少し各地区について詳しく見ていこう。
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