2014年1月2日木曜日

<24>【4】【5】加古川に残る2つの「大塚」古墳

 播磨の国に残る「大塚」の地名的考察を続けている最中だが、加古川市にも2つほど「大塚」に関する地名的遺跡が残っているので調べておくことにする。

 まずは、「宮山大塚古墳」 なるものがあるという。

 ウィキペディアさんより 宮山遺跡
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1

 前方後円墳「宮山大塚古墳」は直径40mのまあ、それなりのサイズの古墳である。その周囲に小さい古墳がいくつかあるそうで、古墳時代の葬送地なんだろうなあ、というぐらい。

 考古学に詳しい方が調べてみても、あまりたいしたデータがないそうである。


 まぁ坊の思いつくまま考古学日記 さんのブログより
 http://blog.livedoor.jp/marbow_archeo/archives/51877892.html

 プロのまぁ坊さんからみても難しい古墳なので、素人の僕なんかでは手も足もでません(^^;

 このあたり一帯は他にも古墳群がたくさんあるので、いわゆる古墳時代に栄えていたんだろうなあ、と思うが、そこから室町期前後にはちょっと飛びすぎかな。



 おなじく、近くにあるのが、「日岡古墳群」で、ここは現在、日岡山公園という公園になっているらしい。

 大きいのが宮内庁管轄の「日岡陵」で、景行天皇の奥さんが祀られているらしい。


ウィキペディアさんより http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%B2%A1%E9%99%B5


 この地には、日岡陵の他にいくつかの古墳があるのだが、 「南大塚」「北大塚」「西大塚」古墳という、まあ「大塚」な名前がついている(苦笑)

 古墳 さんのサイトより
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4702/hioka.html

 ↑上の方が詳細な現地レポを上げてくださっているのだが、やっぱりそれ以上のことはわからないよなあ、という率直な感想。

 
 いずれの遺跡についても言えるのだが、さすがに古墳時代に目を向けると、文書としての記録がないものだから、平安末期以降に武家に一般化した「苗字・姓氏」と結びつけるのが難しい。


 というわけで、もやもやした気持ちだけが残ったまま、「加古川」地域については保留、ということになってしまった。

 

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