2014年1月4日土曜日

<26>謎は熊本にあり!

 ああ!調査は行き詰まりなのである。

 前回までの記事で、赤松支流大塚氏の源流がどこにあるのか、という謎解きが完全に行き詰ってしまった僕は、しばらくこのネタを放置・・・いや、熟成させることにした。

 だいたい、室町期No1のビッグダ・・・もといビッグネームである、「赤松氏」自体、その源流が明らかになっていないのに、赤松系の末席に過ぎない「大塚氏」の源流を見つけようなんて、おこがましいにもほどがある。

 というわけで、九州福岡は三潴からスタートしたわが大塚家のルーツ探しはいったんこれにて保留にしておいて、別の目線で考えてゆくことにしたのである。



 そうだ!そうなのだ。このブログの崇高なる目的は、日本中の「大塚氏・大塚さん」の謎を解くという壮大なプロジェクトなのである。このブログ第25回まで「赤松支流大塚氏」で引っ張ったのだから、そろそろ他の「大塚氏」に目を向けてもいい頃ではないか。


 そんな折である、ひょんなことから面白い情報が入ってきた!!

 それはくまモンの故郷、熊本県からであった!


 
 話は少し前に戻る。九州における大塚姓の分布について調べるため、僕が

 同姓同名探しと名前ランキング さんのサイト
 http://namaeranking.com/

を使って「捜査の当たり」をつけていたことは皆さんもご存知のことと思う。

 そこで、九州における「大塚さん」の分布の基礎調査として、九州各県の大塚姓についてサーチをかけてみた。その結果が以下である。


 福岡県  1231人
 熊本県   954人
 大分県   792人
 佐賀県   300人
 長崎県   290人
 鹿児島県  166人
 宮崎県   160人
 沖縄県    10人


 これを見れば、なんとなくわかると思うが、福岡・熊本・大分が突出して大塚姓の分布が多そうだ、ということが伝わってくる。

 福岡県については、既に説明したとおり、福岡藩(+秋月藩)・久留米藩領内の大塚姓は明らかになっている。

 というわけで、次のターゲットは、まず熊本、そして大分あたりはぜひ調査しなくてはならない気がする!


 そこで、僕はなかなか面白い資料にぶち当たってしまったのである!

 
==========

 近世の熊本県は、まず肥後熊本藩という大藩がある。熊本藩には宇土藩と肥後新田藩のち高瀬藩という支藩があり、熊本の大半の地域を占めている。別に人吉藩があるが、こちらは熊本藩とは別系統ということになる。

 熊本という地域は、ややこしい。戦国期までは、地元の菊池氏や阿蘇氏がうにょうにょやっていたり、戦国期末には「せいしょこさん」こと加藤清正が熊本藩の礎を固めることになるのだが、残念ながら加藤家は2代で途絶えてしまうことになる。

 そこで、近世の最初から幕末までは小倉から転勤してきた「細川氏」が熊本城に入るわけだが、ここにミソがある。

 細川氏を追えば、「大塚」に繋がる。なんとも不思議発見なミステリーだが、逆におしりから追いかければ、この面白さが伝わるのではないかと思う。


 以前に、宮本武蔵の「二天一流」の件を記事にしたことがあるが、宮本武蔵の剣術は傍流として柴任三左衛門を通して福岡藩に伝わり、福岡藩では「大塚氏」が二天一流を伝えたことは紹介済みである。

 ところが、宮本武蔵は、晩年は肥後熊本藩にいて、そこで 本流として二天一流を弟子に伝達している。その本流にも「大塚氏」がいたらしいのだ。

 まずは、NPO法人 二天一流武蔵会 さんのサイトを見てみよう。
 http://musashikai.jp/index.html
 
  武蔵の業績などについていろいろ説明してくださっているが、その中に、二天一流の流派系統図がある。

 http://musashikai.jp/content02/denkeizu.pdf

 ↑をじっくり見て欲しい。

 福岡藩の柴任三左衛門は、左端の系統にいる。宮本武蔵の本名は新免武蔵なので、真ん中の筋がいわば肥後熊本系なのだが、この系列の中に「大塚氏」がいることがわかる。


★参考★
 ちなみに、武蔵の実の父親はよくわかっておらず、新免氏(新免無二もしくは宮本無二)に養子に行ったらしい。新免氏は赤松支流で、 美作を地盤とする。


 この肥後熊本の「大塚氏」は何者なのか?!が今回のテーマである。長くなりそうなので、謎解き編は

 まて次回!!!

 

 
 
 





 

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