前回の衝撃的発見は、さらに続く。
永禄年間に姫路「上野構」に住んでいた大塚将監が、おそらく”あの後藤又兵衛”の父か兄らしいことは、既に述べた。
今回は、その物的証拠っぽいものが見つかったので紹介したい。
竹宮神社秋季例大祭 さんのサイトより
http://takenomiya.main.jp/minami/goto.html
竹宮神社さんは、姫路市山田町にある神社で、平安時代より続く神社であるとの記録があるらしい。
さて、問題なのは、もともと近辺にあった「後藤霊社(神社)」で、ここは又兵衛の一族「後藤氏」を祭っているという。
上記サイトでは、後藤神社ができたいきさつと、後藤一族の系譜が載っているのだが、
あったあった!
後藤基国(将監)の息子の「基」も、後藤将監であり、のちに大塚将監となることが記されている。
なるほど、親子で同じ名前なのでわかりにくいが、大塚将監の正体は、「後藤又兵衛」の兄貴としてよさそうである。
この由緒記が出来たのは天明期1785年(江戸時代)であるから、多少の伝承的問題はあるかもしれないが、「播磨鑑」の出来た年も、宝暦期1762年ごろとされているので、時空軸は一致する。
また、同じサイトには気になる記述があった。
http://takenomiya.main.jp/minami.html
それは、後藤又兵衛の一族と「蛇塚」に関する伝承で、大蛇退治の物語になっている。大蛇の件はともかく、ここでいう「蛇塚」は古墳の跡であろうから、それを持って後藤将監が「大塚」姓を名乗ったとしても不思議ではない。
それにしても、赤松支流大塚氏が2氏存在することが、なかなか興味深い。また、赤松大系図の「大塚重太夫」が、直接の置塩城の家臣でなかったとすると、赤松支流大塚氏とは、「実は後藤氏」という可能性だってあるわけだ。
まだまだルーツ探しの旅は、続きそうである!
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