2014年1月5日日曜日
<27>肥後熊本藩 細川氏を追え!
宮本武蔵の弟子に「大塚氏」がいる!ということ、そして、熊本県が福岡県に次いで「大塚氏」が多い、というあたりを手がかりに始まった肥後熊本藩の調査。
この調査においては、めちゃくちゃお世話になったサイトがあるので、まずはそちらをご紹介しておきたい。
肥後細川藩拾遺 さんのサイト
http://www.shinshindoh.com/index.htm
とにかく、すばらしいサイトで、肥後藩、細川氏のことであればなんでもわかるという熊本最強の歴史サイトのひとつであることは間違いない!
ああ、誰か久留米藩もこんなの作ってくれないかな~、と思わず切望してしまうほど!
このサイトには、肥後大塚氏についての多くの記録が紹介されているのだが、「新・肥後細川藩侍帳」という項が、管理人さんが調べに調べまくった「細川藩の家臣の一大記録」である。
とにかく膨大な記録なのだが、この中から「大塚氏」に関してまず押さえておきたいことが2点ある。
①細川家家臣となった旧加藤家家臣 大塚七右衛門
http://www.shinshindoh.com/katou.html
加藤家侍帳に記載があり、熊本藩初代藩主の加藤家から細川家に仕えるようになった「大塚氏」がいる、ということがわかる。
②細川家家臣団の中の「大塚氏」たち
http://www.shinshindoh.com/samurai/05-o.htm
管理人さんが各古文書からリサーチしてまとめた藩士の記録のうち、「大塚氏」に関するもの。
まず、大半の大塚氏が「豊前小倉御侍帳」に記載があり、細川氏が熊本に来る前からの家臣であることがわかる。
そして、特筆すべきは「大塚源次」の項「大塚又左衛門」の記載の欄だが、
「丹後御入国以前より御奉公、於豊前知行百石拝領」
と書いてある。
これは気になる。細川氏の動きを、もっと調べてみなくてはなるまいて!
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肥後細川氏は、肥後熊本の前に豊前小倉、小倉の前に丹後田辺・宮津を治めている。また、肥後入城前には、加藤清正のことを最大限尊重し、加藤家の家臣を自分の部下として迎え入れたという。
ウィキペディア 熊本藩 より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E8%97%A9
これらの事実は、上記①・②の大塚氏の記載とも合致している。また、丹後と小倉に入城したのは、細川忠興とその父の頃の家臣だと考えてよい。
ウィキペディアより 細川忠興
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%BF%A0%E8%88%88
忠興の父細川藤孝は、足利家の庶流であり、足利将軍家に仕え、のち織田信長に従うことで丹後の藩主となる。
ただ、難しいのは、細川藤孝は足利将軍に近い所にいるものの、養子にいったり没落したりと、順風満帆に大名ルート一直線に進んだわけではない。
つまり、彼の臣下の「大塚氏」が、もともと誰の部下で、どの時点で肥後細川氏の家臣となったのかが、いまいちわからないのである。
足利本家に近ければ、まだ登場していな関東系の大塚氏である可能性もあるし、もちろん、地盤を考えれば赤松系の大塚氏の可能性もある。
ある程度家紋がわかれば判定できそうな気がするので、
ぜひ熊本県の大塚さん!家紋の情報を教えてほしい!
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