2014年1月10日金曜日

<調査中>家紋「鶴の丸」の大塚さん<追加発見>

 さてみなさんこんにちは

 赤松支流大塚氏の源流探しが少し行き詰まり、肥後熊本藩細川氏家臣の大塚氏の情報も停滞している今日このごろですが、なんとあの熊本藩細川氏の末裔、細川護煕元首相が、都知事選に出るとか出ないとか(笑)

 ちょっとばかりタイムリーですね。

 
 それはさておき、とにかく全国の「大塚」さんについて、いっちょ噛みたいこのブログですから、少しでもとっかかりがあると、つい攻め込んでしまいたくなります。


 しばらくは同時並行しながら全国の大塚さんを繋いでゆきましょう。


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 今回は、京都の和菓子屋さん「亀屋陸奥」さんのお名前が「大塚さん」だと判明。本願寺ゆかりの「銘菓 松風」を作っておられるそうです。


 亀屋陸奥 さんのサイトより
 
 この亀屋陸奥さんには、直接家紋についての言及がないのですが、同じ家から出た「三木都」さんが家紋を紹介してくださっています。

 三木都 さんのサイトより


 こちらも銘菓「松風」をお作りになっているようで、もともと松風は石山本願寺(旧の大阪城です)に篭城している浄土真宗信者の兵糧として大塚治右衛門春近さんが作った食べ物がルーツのようです。


 さて、この大塚一族の家紋が「鶴の丸」です。JALのマークの原型になっている鶴が丸く羽根を広げた形のデザインですが、現在の三木都さんの家紋は、鶴がイチョウの葉っぱを咥えている形ですね。


 鶴丸紋は、浄土真宗本願寺の開祖、親鸞が「日野氏」の出身であるため、日野家の紋である「鶴丸」が本願寺と密接に結びつくようになったといいます。

 日野氏、本願寺、鶴丸の関係については、播磨屋さんのページに詳しくありました。


 播磨屋 さんのサイトより




 ところで、僕らの「完全網羅 大塚姓・大塚氏・大塚さんのすべて! 全大塚氏族超まとめスペシャル」においても、鶴丸紋の「大塚氏」が登場します。


当ブログ第<8>回より


 分類で言えば<L>の大塚氏で、加賀藩給帳に記録があるといいます。


 加賀藩に「大塚」さんがいた、という記録だけなので、ちょっとデータ不足ですが、関係があるかもしれません。

 この場合、「亀屋陸奥・三木都の大塚さんが加賀出身」というわけではなく、


 とある大塚氏が本願寺信仰により「鶴紋」を付け、石山合戦を経てその一族の末裔が加賀へ移った。


という仮説が成り立ちそうです。


 もちろん、逆もありえなくはないですが、論拠が江戸期の「加賀藩給帳」だけだと、かなり近年の記録ということになるため、本願寺攻めの際の大塚氏が「鶴丸紋」ということを考えれば、こちらのほうが古そうですね。


 このネタも、新データが揃えば更新します。


 鶴丸紋の大塚さん!ご連絡お待ちしています!



★追加発見★


有鹿神輿伝承会 さんのブログにて、会員の「大塚さん」が「鶴丸紋」であることを発見しました。

http://ameblo.jp/yujinkai/entry-10244347125.html


会員の方が、半纏をおつくりになったときの記録です。

ノーマルですが「鶴の丸」の紋ですね。


 有鹿神社は、神奈川県(相模国)最古級の由緒ある神社です。

ウィキペディアさんより 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE


相模には「相模大塚」という地名もあるので、何か関係がありそうですね。ワクワクします。


偶然の一致なのか、それとも秘められた歴史があるのでしょうか?!

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