2013年12月27日金曜日

<14>家紋が「抱き茗荷」な大塚氏は4グループある?!

 わが家系のルーツが、「赤松支流大塚氏(家紋 抱き茗荷)」であることは、すでに判明した。

 しかし、それは僕の直接の先祖を遡っていった道筋と、「寛政重修諸家譜」を中心にした古文書から逆に降りてきた道筋が一点で結び合わさったということにすぎない。


 実は、この調査を進めてゆくうちに、広い意味での僕らの親族・一族に相当する「赤松支流大塚氏」には、少なくとも4つのグループというか分派というか、流れがあることがわかってきた。




 【第一グループ】 赤松支流大塚氏 本流

  赤松氏の家臣であったが、戦国時代を生き抜く間に、赤松一族から分かれて播磨に残った大塚氏。




 【第二グループ】 赤松支流大塚氏 久留米藩所属 有馬軍団

  有馬氏に姓を変えた赤松氏の家臣であり、播磨~摂津を経て、最終的に久留米藩へ移った大塚氏。  
 
  これがうちの家系である。



 【第三グループ】 赤松支流大塚氏 福岡藩所属 黒田軍団

  赤松家臣のうち、小寺家に仕えた大塚氏であり、今度の大河ドラマ「黒田官兵衛」の活躍のせいで福岡藩へ移った一族。宮本武蔵の武術流派である「二天一流」を継承する。



 【第四のグループ】 それ以外の赤松支流大塚氏

  播磨地域から外に出て、あるいは他の主君に仕えた赤松支流大塚氏。





 ★重要ポイント★

 「寛政重修諸家譜」に掲載されている「赤松支流大塚氏」は、どれかわからない。

 ただ、久留米藩家臣、福岡藩家臣の一家来に過ぎない弱小士族のことをわざわざ収録するとは思えないため、第一グループか、第四グループに当たると考えることもできる。


 千鹿野茂さんの著作では「幕臣が出る」との記述があるから、第一もしくは第四グループから将軍家に入ったものがいる可能性がある。

 

  残念ながら、現時点では、4つめのグループを確認できていないが、もし「自分も抱き茗荷の大塚姓で、これこれこういう経緯を持っているよ」という方がおられれば、ぜひお教えいただきたい。

 
 さて、かくかくしかじかで、次回からは上の3つのグループに着目して話をまとめてみたい。


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