2013年12月21日土曜日

<プロローグ>

<プロローグ>


 山、というのはすぐ背後に迫っているものだ、と僕は幼い頃から思っていた。

 生まれた町が阪神間の西宮市だったから、南へ行けば海、北へ上ればすぐに山というのが、当たり前の風景だったし、小学校の遠足は近くの「甲山」へ登り、ちょっと大きくなれば神戸寄りの「六甲山」へ遊びに連れていってもらうのが、ここいらの子供達の共通体験だったからだ。

 西宮市、芦屋市、神戸市を経て明石市に至るまで、海沿いの平野部はほんの狭い距離しかない。特に神戸に入ると、この狭さは尋常じゃなくなり、右を見ればそそり立つ山、左を見ればすぐ海、という景色になってゆく。

 「すぐ近くに山がある」というこの感覚は、あるいは兵庫県民の多くに共通するイメージかもしれない。阪神間、つまり旧摂津地域は、大阪平野に連なる平地に見えて、その実、意外と山に囲まれている。宝塚市から三田市にかけても、かなり急激な上り坂を経て入っていくし、六甲山の裏へ廻っても、狭い谷あいを抜ければまた山々の連続である。

 丹波地方、但馬地方は言うまでもない。近年グーグルのCMなどで全国区になった天空の城竹田城は、雲海の山の中から顔を出す。

 逆に、兵庫県内で平野(へいや)らしい平野といえば、小野市・三木市・姫路市周辺の播州平野一帯が思い浮かぶ。
 その姫路も、相生あたりまで行けば切り立った崖に囲まれ、新幹線は山の中を走り抜けていくイメージになる。

 とにかく、僕らは山を見ながら育ったのだ。


 僕の父親が、兵庫県出身の母との結婚を気に、関西地方へ移ってきたのは、もう40年ぐらい前のことになる。
 父親は九州の出身で、見渡す限り広大な筑後平野のなかで育ったため、まず当地の「山」に驚いた。
 母親の実家が兵庫県の中ほどにあったたため、父が、母の両親に挨拶に行って一晩泊めてもらったおりには、
「ああ、あの山の向こうからゴジラが現れそうだ」
と思い、なかなか寝付けなかったと聞いている。



 関西で生まれ育った僕だが、父親の実家が九州福岡県にあるため、僕の本籍地もまだ福岡のままになっている。最近は免許証の中の本籍地を示す欄が消されるようになったが、ついこの間までは、毎日のように福岡県のその住所を見ていたものだ。


 福岡県三潴地方のその土地に、代々我が大塚家は居を構えている。

 
 うちの父は末っ子だったため、長男のように実家を継ぐこともなく、勝手に関西へ飛び出してもいっこうに問題なかったのだが、おかげで僕らの一家は、実家サイドの親戚と数年に1回程度しか交流できずに過ごしてきた。

 それでもまだ、祖父が存命の折には、小さい僕たちを連れて新幹線に乗って帰省をしたものだが、祖父が亡くなり、父の長兄が亡くなり、そして祖母や父も亡くなってしまったため、いよいよ今では九州へ帰る機会はなくなってしまいそうだと思う。



 大塚家、僕らの父親の実家は、三潴地方の某地区にある。見渡す限りの田んぼとクリーク(堀)が縦横に走っている平野の中に、小さな集落があって、その中にそこそこ広い敷地を持った「お屋敷」のような家が建っている。

 堀が屋敷の土地とリンクした形になっているので、一見すると「堀に囲まれた小さな城」のような風情がある。小さい頃の僕と弟は、「うちの実家は城なんだ!」妙に興奮していたのを覚えている。

 敷地はやたら広いのだが、その一角に墓があり、いや墓というより「墓所」というべきスペースが設けられていて、これまたやたら大きい「大塚家の墓」が中央にそびえている。そびえている、という表現も云い得て妙で、墓石に辿りつくには、数段の高い階段を上らないと上までいけないようになっていて、壇上が少しだけテラス(回廊)状になった墓の形状であるため、とにかく威風堂々とした墓になっているのだ。
 墓の台座部分は空洞になっているらしく、後ろに扉がついている。父親が小さいころに覗いてみたそうだが、そこに遺体や骨壷が安置してあるというよりは、すでにこれまでの時代の中で、中身はあらかた整理されていたらしい。


 そして、その周囲には、これまで亡くなったであろういろいろな人たちの小さい墓石が、あちらこちらに建っている。そのどれもが、かなり古いもので、表面の文字は読めなくなっているものが多い。
 とにかく、由緒ある墓所なんだろうな、という感じがして、小さかった僕ら兄弟は「怖い」とかそういう感情よりも、「なんか、すげえ!」という印象を持ったものだ。


 まさに、実家には大きなお墓がある。だからうちの名前は「大塚(おおつか)」なんだ、と僕は勝手にそう思っていた。

 大塚、という苗字の由来は、基本的には「大きなお墓」で問題ないだろう。しかし、もちろん、この場合のお墓は、うちの実家のような近世の墓所や墓石ではなく、もっと古い時代の「古墳や古塚」のようなものだと考えられる。

 大きな塚のそばに住んでいたから「大塚」とか、古墳のある地域・場所に由来する氏姓だから「大塚」とか、そういう由来で「大塚」姓は生まれたと考えられている。


 ところが、残念ながらうちの実家の近所には、それらしい「古墳」なんかは全然なく、やっぱり大きい塚はうちのお墓しかなかったので、子供の僕にはよくわからないままだった。
 どんな子供だって、小さいうちは自分の苗字の由来なんかより、もっと面白そうな・興味関心のあることが山ほどあるのだから、そんなもんだとしかいいようがない。


 ともかく、僕は大塚一族の一員で、今では遠く離れてしまっているけれど、僕の出所はこの九州の小さな町のこの家なんだ、ということだけは、間違いなかった。

 そして、ずっと、僕は九州出身の一族の人間だと思い込んでいたのだ。そう、40年近く、ずっと!



0 件のコメント:

コメントを投稿