2013年12月28日土曜日

<16-1>【第二グループ】 久留米藩士大塚氏 久留米藩分限帳を読む

 さて、第二グループでは、我が家を含む久留米藩に仕えた「大塚氏」の様相を調査してゆきたい。

 前回と同じく「同姓同名探しと名前ランキング」さんのサイトを用いながら、今度は福岡県における「大塚さん」の分布を調べてみた。それが次の結果である。

http://namaeranking.com/?search=%E5%90%8C%E5%A7%93%E5%90%8C%E5%90%8D&surname=%E5%A4%A7%E5%A1%9A&firstname=&tdfk=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C


 これがなかなか興味深い。



 まず、このリストの読み方にちょっとくせがあるのだが、市町村レベルで一番多いのが飯塚市149人、次が嘉麻市86人・久留米市85人、八女市65人・・・、といった具合になっている。

 ところが、このリストは、北九州市と福岡市が区分けされているので、本来的には、福岡市が合計157人、北九州市が180人ということになる。




 もう少し噛み砕いて説明すると、こういうことだ。福岡県における「大塚さん」の分布は、旧福岡藩領がとても多く、そして、旧久留米藩領にも多数の「大塚さん」がいる、という見立てができる。



 このブログの早い段階で出てきた柳川藩関係にいたっては、例えば「柳川市3人(少ない)」という具合だから、やはり柳川藩に「大塚氏」はいなかった可能性が高い。



 ここで、一旦ひとつの大きなポイントを提起しておきたい。

 それは、我が家のように「久留米藩に属する大塚氏」がいるのと同様、あるいはそれ以上の勢力として「福岡藩に属する大塚氏」がいる、という発見である。

 この「福岡藩系大塚氏」は【第三グループ】として別項を立てて詳細に説明するので、そちらをご期待いただきたい。


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 話を久留米藩に戻そう。今回僕は、福岡市内の古書店で「久留米藩分限帳」を入手した。

 「分限帳」とは、簡単に言えば、久留米藩士の「名簿・リスト」である。この分限帳は、「久留米小史」という久留米に関わる歴史書の別冊として付録されているもので、



「久留米小史 戸田乾吉著 鶴久二郎編」


として1974年に刊行されたものである。


 九州の各市町村図書館や九州大学・福岡大学などの一部の図書館で読むことができるが、基本的にはあまり出回っている冊数が多くない「古本」である。ただ、学術的には誰でもどこでも読めるので、まあ目にしやすい本であることは間違いない。


 さて、結論から言えば、「久留米藩分限帳」には有馬氏の家臣として「大塚」の名前がきちんと掲載されている。


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 ☆ 寛文六年版(1666年)


 大塚次兵衛 の記載が読める。(影印)




 ☆ 文久二年版(1862年)


 竹之間組 三百石  大塚平十郎 

(略)

 中小性組 拾五石三人扶持  大塚九兵衛

(略)

 荒巻太左衛門組 拾二石三人壹歩扶持  大塚處平 

(略)

 御納戸役支配 御徒士並格 拾石三人壹歩扶持  大塚忠兵衛




弘化三年版(1846年) 「手鑑」


 竹之間御番  大塚伸左衛門 

(略)

 御進物方  大塚九兵衛

(略)

 馬廻組 (一番組~六番組)

 竹ノ間組  大塚伸右衛門 
(略)

 御徒士 文化十二亥四  大塚九兵衛

(略)

御徒士御雇  二人扶持銀五枚  大塚処平

(略)

集徒士  御徒士並  文政十二丑十二  大塚忠兵衛

(略)

御能役者 九石  大塚陽次郎




明治二年版(1869年)「久留米藩御記録分限帳」


 御馬廻 壱~六番 ならびに 並 


竹之間組 三石(百の誤りか?)石  大塚平十郎

(略)

中小性組 片山兵左エ門組   成産方  大塚処平



明治五年版(1872年)「元久留米県官禄取調帳控」

現六石六斗  士族 大塚処平

(略)

貸銭方 二石三斗一升宛  大塚福蔵



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 これらの記述から、久留米藩の大塚氏は大きく分けて3身分の者が存在したことがわかる。


 「竹の間組」の三百石クラスの一家

 「中小姓」クラスの一家

 「徒士」クラスの一家

 
 の約3家である。


 もちろん、子が生まれるごとに長男はともかく、次男三男はより下位の役職に就かざるを得ないため、これらの大塚家が元は同族であることも十分ありうるが、やはり基本となるのは「竹ノ間組」に属した大塚平十郎や伸左衛門(伸右衛門)たちであろう。



(この章つづく)





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