2013年12月27日金曜日

<15>【第一グループ】 播磨に残る赤松支流大塚氏 姫路の大塚さん

 戦国時代は、まさに生き残りをかけた弱肉強食の時代であった。ある者は大名として名を上げ、ある者は討ち死にし、またある者は、誰かの家来となってかろうじて命脈を保ったりした。

 本流としての赤松家は、既に断絶して久しい。赤松一族の中で幕末まで栄えたのは、あるいは有馬家ぐらいだ、といっても過言ではないくらいである。

 それでも、その子孫たちは以外にずぶとく乱世を生き抜き、天下泰平となった江戸時代を通じて、次の世代へと家系を受け継いできた。

 たとえば、先に述べたわが母方の「赤松さん」一族なんかもその例である。彼らがいったいどれほどの血筋の「赤松家」なのかは、今では明らかにすることも難しいかもしれないが、それでも「赤松氏」の末裔として生き延びていることには相違ない。



 播磨国赤松臣下であったはずの「大塚家」の一族も、当然播磨で生き延びている。戦国の世の中である者は有馬家に仕えたりはしたものの、播磨に残った大塚氏は、いわば本流に近い大塚氏であると言うこともできる。


 その証拠探しの調査をはじめよう。


 以前にも紹介した「同姓同名探しと名前ランキング」さんのサイトをもう少し詳しく見てみることにする。

 全国の「大塚さん」が約3万件ある、と既に指摘しているが、このサイトでは県市町村別に絞り込むことができるようになっている。

 そこで、兵庫県の「大塚さん」に限定して検索をかけると、

 http://namaeranking.com/?search=%E5%90%8C%E5%A7%93%E5%90%8C%E5%90%8D&surname=%E5%A4%A7%E5%A1%9A&firstname=&tdfk=%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C


のような結果になった。


 もちろん、これは現代におけるデータであるが、兵庫県内では「姫路市」に突出して「大塚さん」が多いことがわかる。

 旧播磨国である周辺の市町村をあわせると、かなり高い率で「播磨国に大塚さんがいる」ことがわかってくる。


 これが示しているのは、いったいどういうことか。

 そう、「赤松支流大塚氏の末裔は、たしかに姫路周辺に今でも生きている」ということに他ならない。

 
 彼らは、有馬氏や別に述べる小寺氏に仕えて九州へ移らなかった「大塚氏」の子孫であろう。

 残念ながら、現時点で文献上彼らの情報を得ることができていないが、もし、姫路周辺の「大塚さん」がこのブログを見ていたらぜひご連絡いただきたい。


 そう、まっさきに尋ねたいことがあるのだ。それは、


 あなたのおうちの家紋は、「抱き茗荷」ではありませんか?


ということだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿