前回の記事、「完全網羅 大塚氏・大塚姓のすべて! 全大塚氏族超まとめスペシャル!」
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8828.html
は、文学部国文学科卒業ならではの、変態的執着系古典研究によって明らかにした日本中の「大塚」さんのまとめデータである。
その調査とまとめ作業を終えるや否や、僕は驚愕の事実に驚くことになってしまった。
僕の苗字である「大塚」のうち、うちの家紋である「抱き茗荷」紋を使っているのは、全37大塚氏族のうち、たったひとつしかない、ということに行き着いたのである。
それは、リストでいえば<C>の「村上源氏赤松支流の大塚氏」だけなのだ。
いや、厳密に言えば、<AC>の加賀国の山上氏あらため大塚氏も「隅切角に抱き茗荷」を用いるのだが、我が家の場合は、「隅切角」(角を落とした四角形の枠)なんて装飾はついていない。純粋な「抱き茗荷」であるから、<C>に該当で間違いないと思われる。
もちろん、家紋には「定紋」と「替え紋」があり、定紋のほうが正式な家紋、替え紋がサブ家紋ということになっている。その定紋・替え紋ともに、「抱き茗荷」を使うのは<C>の「村上源氏赤松支流の大塚氏」のみであるから、これまたこの一族こそわが一家だと考えざるを得ないわけである。
しかし!んがしかし!
赤松、という名は、日本史好きであればすぐに「ああ、あの赤松か」と思い浮かべるくらいのビッグネームである。
僕が昔図書館でハマった「まんが日本史」にもバリバリ登場する、そして、山川出版社の日本史教科書にも当然登場し、受験で日本史を取った人なら今でも覚えているはずのあの、赤松以外に赤松はない!
・・・・・・そう。鎌倉時代から活躍し、一休さんでおなじみの足利将軍家のバックアップをつとめ、挙句の果てには、将軍足利義教を暗殺してしまっちゃったりした、あの「赤松」一族である!!
そのせいで、戦国時代が始まっちゃったりしたので、なんともえらいことをしでかした赤松一族だったりする、あの「赤松」である!
赤松氏 ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E6%B0%8F
だが、だがだがだが!
赤松氏といえば、播磨の守護からスタートして大名になったわけなので、兵庫県姫路を本拠地とする氏族ではないか。
うちの家系は代々、九州筑後三潴地方に住んでいるわけだから、わけがわからない。何ゆえに、我らの家が、「赤松氏族の分派」であると言えるのか!
・・・・・・ふふふふ。ふはははは!ぬははははは!
その時、僕は急に高笑いをはじめてしまった。
そうか!そういうことだったのか!!!!
謎は、すべて解けた!!!じっちゃんの名にかけて!
日本史フェチのうち、戦国マニア、戦国大名マニアの方なら、すでにこの「点と線」がつながった松本清張的展開にお気づきになったに違いない。
そうだ。大きなヒントが有馬温泉。冗談ではなく、有馬温泉を治めることになった戦国大名「有馬」氏が、その点と線をつなぐポイントだったのだ。
赤松則祐の5男、義祐は1391年の明徳の乱の戦功によって、摂津有馬荘の地頭職になり、そこから「有馬」を名乗るようになる。
その子孫である、有馬豊氏が関が原の合戦の戦功でもらった領地がどこだと思う?
そう、そうなのだ。
有馬豊氏がもらった領地。それこそが筑後久留米21万石なのである!!!
ミステリーの謎解きはこうだ。わが大塚家のもとの苗字は当然「赤松」、そして、久留米藩主「有馬」氏のもとの苗字も当然「赤松」だ。
歴史的には、赤松氏は「赤松三十六家」なんて呼ばれたりするほどの支流を持つ大所帯である。
赤松氏について(播磨屋さんのサイトより)
http://www2.harimaya.com/akamatu/html/ak_rekisi.html
赤松三十六家
http://www2.harimaya.com/akamatu/html/ak_36ke.html
しかし、赤松三十六家に「大塚」は入っていないので、そこまで取り上げられない弱小支流であったのだろうが、とにかく、「大塚」氏は大きな意味で赤松一族・赤松軍団のメンバーであったと思われる。
その中で、同族赤松氏の中でも力のあった「有馬のおっちゃん(いちおう親族なのでおっちゃんと呼ぶ)」の家臣になっていたのが、おそらく僕らの先祖の「大塚」氏だったのだろう。
それが、久留米藩に領地替えになった時に、いっしょにくっついていったに違いないのだ!
だから我が家の実家のある地域は「久留米藩領」であり、我が家は近しい家臣なので「久留米藩の馬廻り役(藩主の親衛隊)」ということになるわけだ。
もちろん、直接系図を見たわけでもなんでもないので、物的証拠があるわけではない。しかし、状況証拠としては、すべてが一直線に繋がったではないか!!!
そして、何より、「自分、不器用ですから」な九州男児だと思っていたうちの家系が、今の僕とおんなじ関西人だったことに、驚きを隠せなかったのである。
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