さて、お立会い!
九州、肥筑地方に広がっている「大塚」姓、「大塚」氏、「大塚」さんのうち、もしかしたらご先祖様かもしれない?!可能性が大きい
武藤少弐 大宰少弐 系 大塚氏
の系図スペシャルが登場である。
この系図は、もともと「大塚系譜」というもので、佐賀藩士として現存する大塚家の系図、ということになる。
引用元は 渡辺文吉著『武藤少弐興亡史』海鳥社1989 であるが、「大塚氏研究」のために中世期に限って必要最小限を引用、かつ考察を加えるものとする。
※一部略記あり。
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大塚氏 本姓藤原 家紋重釘抜
武藤筑後守資頼より6代
- 頼尚 (大宰少弐筑前守)
- 直資(新少弐早良次郎)
冬資(大宰少弐)
資俊(西筑前守) - 某(西弾正大弼) - 資忠(西山城守) - 資家(西尾張守)
<資家より>
- 俊氏(西三河守)
嘉吉元年少弐教頼没落の時筑前より当国三根郡大塚村に来たり居、苗字を大塚に改め家紋靠目結を略して釘抜の紋とす。
- 家政(大塚三河守) - □ - □ - □ - 家俊(大塚左兵衛祇園原戦死)
家郷(大塚左京亮 初め西上総介)
<家郷より>
- 家国(西陸奥守 後に改め倉町上野介家直)
- 頼宗(大塚左京亮 実は馬場伊豆守頼経の子)
家光(倉町蔵人)
<家国より>
- 家宗(大塚三郎四郎) - 家清(大塚左京) - 盛家(大塚左京)
<家宗より>
- 家房(大塚新兵衛)
宗清(左兵衛尉) - 氏清(右衛門允) - 為清(久右衛門) - 頼清(与兵衛)
<頼清より>
- 輔清(右衛門允) - 俊清(久右衛門)寛文元年卒
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嘉吉元年が1441年で、室町時代のこと。
寛文元年は1661年で江戸時代前期のこと。
この大塚氏は最終的には佐賀鍋島家臣となるので、
少弐氏 - 龍造寺氏 - 鍋島氏 と仕えてきたことになる。
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「北肥戦誌」に、「大塚左京亮盛家」なる人物が、小城勢の中に「岡の大塚左京亮盛家」などとして登場するのだが、
家国のひ孫の「盛家(大塚左京)」
がその人物なのだろうか?
その他、「小城一揆」メンバーに「大塚左京允」が出てくるのだが、上記系図の大塚氏は「大塚左京亮」を名乗っているので、同系列か?
※「亮(まこと)」「允(まこと)」意味はおなじ。
とすると、小城衆の大塚氏は、独立氏族ではなく、そもそもは少弐から出た、ということになる可能性あり。
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