2014年7月30日水曜日

<84>殖産興業・富国強兵時代の九州大塚氏を読む お、お金持ち?!

 以前からやりたかったのだが、なかなか着手できなかったあるネタを今回はお届けする。



 ご存知の通り、九州一帯の「大塚氏」については、非常に一般的なデータが少ない。もちろん、どの大塚氏族であっても、分布はかなりあるのに、その出自を示す情報が少ないのだ。

 それはひとえに、戦国期・江戸期を通じて、この地方の大塚氏について


 戦国武将とか、各藩の重鎮とか、とにかく大物と呼ばれた大塚さんが少ない


ことにも起因する。


 というわけで、江戸時代の大半の九州地方大塚氏は、「農民として影をひそめていた」ことが伺える。あるいは、各藩の藩士であっても、「ふつうのリーマン」レベルであったということになるわけだ。

 ぶっちゃけ、家老とか、ほにゃらら役とか、そういう上級武士の大塚氏も、ほとんどいない。(福岡藩千石取りの大塚氏ぐらいだ)



 ところが、そうした江戸期の状況から、明治大正になると、



 にょきにょき



と大塚氏が姿を現すようになる。以前にも、三池地方のお医者さんだった大塚氏を紹介したことがあるが、


 <52>名家「大塚家」は真実か?! ~福岡をめぐる新資料~
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/04/blog-post_19.html



どの氏族においても、明治期以降の「どや!うちはこんなにすごいんや!」熱は、いっそう高まるようである。



 というわけで、ツカミはこれくらいにして本題へ。今日読むのは以下の資料である。



 近代デジタルライブラリより 

 福岡県壱万円以上実業家資産名鑑と大日本富豪家蓄財の経歴. 大正11年8月現在
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908913



 のっけからすっごいタイトル!


 この明治~大正あたりの「新生明治政府ジャパン!のイケイケどんどん!」なオーラが毎回やみつきになるのだが、まあ、微笑みながら読み進もう。


 昔、教科書に「成金がお金を燃やしながら”どうだ?明るくなっただろう”の図」が載っていたのを思い出す。




 では。(一部略して書いています。特に住所は省略)

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◇ 七万円  福岡市 洋品・メリヤス 大塚次太郎

◇ 二万円  福岡市 米穀 大塚昇

◇ 五万円  久留米市 大塚弥一

◇ 二万円  小倉市 樽製造 大塚円次郎

◇ 一万円  浮羽郡 荒物呉服 大塚三四郎



 以上が大正11年の「お金持ち」大塚氏の分布である。それぞれ商っているものも違うのだけれども、なんとなくこれまで調査してきたように「福岡藩」「久留米藩」などを中心に大塚氏の子孫が頑張っている様子が伺える。


 残念ながら三潴地方には「お金持ちの大塚氏」はいなかった(--;;;;




ついでに気になる人、いろいろ


◇ 五万円 福岡市 小間物 新免久次郎


 出たー!福岡市の新免さん。これはやっぱり宮本武蔵の子孫ということでいいとも!



◇ 二十万円 三井郡 金貸 神代村次郎


 桁がひとつ違うのは金貸しの「神代」氏。我らが神代勝利・長良の子孫かもしれない。龍造寺には負けたが、時代の荒波は乗り越えるぜ!



◇ 十万円 三潴郡 酒造 蒲池龍雄

◇ 三万円 三潴郡 酒造 蒲池号
 

 あの蒲池氏の子孫は、お酒をつくってるようだ。三潴は酒どころでも一時有名だったのですぞ。



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 というわけで、明治維新を経て、いろんな氏族が「新しい貨幣経済」の荒波の中へ放り込まれていく様子が見えてくる。


 これらの方々が今も、イケイケどんどんかどうかは、・・・・。推して知るべし(^^;;;

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