基本的には、当家の三潴「大塚氏」のルーツ探しは一定の成果を挙げてお開き、と行きたいところなのだが、気になることがあればどんどん追求してしまう癖があるので、まだまだ調査は終わっていない。
当ブログを通じてお友達になれた九州戦国期の専門家、栞さんから面白いことを聞いたので、それがずっと引っかかっているのである。
面白いこと、というのはこういうことだ。
①当家の元主君と思われる「龍造寺氏」やその「腰ぎんちゃ・・・ブルブル、忠実な部下の鍋島氏」の本拠地は当然肥前佐賀。
②当家のある位置は旧筑後国三潴郡、概ね戦国期のこの地の支配者は大友氏。
③三潴の最南端「柳河」地域は、蒲池氏の支配下。蒲池は歴史的に、龍造寺と協力関係にあった時期が多い。でも、最終的に決裂。
この前提で話をすると、当家の先祖が『龍造寺家臣』だったのであれば、どちらかというと敵の懐に近いようなところに、飛び込んでいって、そこで土着・帰農したことになる。
それを現代の言葉に訳せば、
なんで、佐賀県の連中が福岡県に定着したの?理由は?
ということになるわけである。
そこで栞さんが指摘してくださったのは、「大友氏の支配地域(筑後)に、龍造寺氏が領地を貰った場所があるよ」という点であった。
こうなると面白い。
何か、龍造寺家臣が筑後に定着する素地があったことになるからだ。
九州戦国ブログ さんより 大友氏の龍造寺氏への領地あげるよ手紙
http://blogs.yahoo.co.jp/tokino_siori/10771438.html?type=folderlist などなど
ところが、その地域というのが、筑後国生葉郡大石村(現福岡県うきは市)あたりだと言う。
微妙~にずれてる、というか。微妙~に三潴じゃないというか!
というわけで、もやもやしながら捜査範囲を拡大している最中に、また面白い発見があった。
まずは龍造寺隆信の挙動について。
佐賀市のサイトより
http://www.city.saga.lg.jp/contents.jsp?id=2611
一時期、隆信が佐賀を追われて筑後に避難していた話は有名だが、その場所が「大川市一木村」だという。
ついでに
城郭放浪記 さんのサイトより
http://www.hb.pei.jp/shiro/chikugo/sakemi-jyo/
にもあるが、大川市酒見には、龍造寺方の拠点「酒見城」があったという。
守っていたのは、鍋島直茂(我々には信生のほうがなじみがある。そうあの信リンだ。)、のちの佐賀藩祖である。
この地域が天正15年ごろまでは龍造寺の支配下にあったとすれば、
実に面白い
ことになる。
城郭放浪記さんの地図を見るとわかりやすいが、佐賀側から見て、柳川近辺までの位置関係が一目瞭然である。
どういうことか。
もちろん、三潴地域全体については蒲池氏を始めとして、西牟田氏など筑後メンバーの支配地域が広がるのだが、少なくとも
筑後川を佐賀から越えて筑後に入ってすぐの地域
までは、龍造寺のエリアということになるわけだ。
ここに三潴全体を見ていてはわかりにくいポイントがありそうだ。
のちに、慶長5年(1600年)の江上・八院合戦という
鍋島による柳川立花氏殲滅作戦
の舞台になるのも、やっぱりこの地域である。
そして、ついでに言っとくが、鍋島が柳川城を攻めるはめになったのは、今をときめく
黒田官兵衛ちゃん
の指示だというから恐ろしい。 官兵衛ちゃんの怖いところは、
鍋島が、立花をちゃんとやつけようとするか、すぐそばでじっと見ていた
という性的な意味じゃなくて「やらしい」目線。
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話が飛んでいったので、引き戻すが、とにかく
大川市をマークせよ
ということだけは確かである。
ご紹介ありがとうございますm(__)m
返信削除大友さんが約束したのは100町だったんですが、何やら勘違いしてたか別の事情からか、うきは市では80町しかなかったとです(大爆
で、不足分20町を下筑後にて知行するから!って言い訳してるんだが、
下筑後の何処か続きがないのが残念^^
龍造寺からすると筑後って、子供のママ友みたいな身近な生活圏イメージです。
逆に博多や大宰府は都会 (人´∀`).☆.。.:*・
九州を支配する上位者にとって博多を抑えるのが(明や朝鮮など貿易上の対外的な話)絶対条件だったからだと思います。
それと例の海岸線のヒントになりそうなサイトです
http://www.ilt.saga-u.ac.jp/~hn_lab/lowland_mystery/ariake_shoreline.html
大川市側も、かなり変化してます(´Д`;)
航空写真に切り替えて、海岸沿いの農地部分は戦国期は海と思えば、ほぼ間違いないっす^^/
栞様>海岸線のサイト、面白いです!うーん。龍造寺軍団が、どういう目線で三潴を見ているかがはっきりわかりますね。
返信削除当家の位置づけも、海岸線が下がると大きく意味合いが変わってきます。
ご紹介ありがとうございます!