三潴地方の当家「大塚氏」について、とりあえずルーツ探しが「決着」したところであるが、それですっぱり辞めてしまったわけではなく、ボチボチ調査は続行している。
現在進行しているのは、いわば「証拠固め」の段階で、ご先祖さまが特定されて以来、
それで本当に正しいのか
矛盾などはないか
などをゆっくり調べているわけだ。
当家の大塚氏について、当ブログ「俺ん家コード」的には
中臣鎌足を始祖として、藤原秀郷流、武藤氏、太宰少弐を経て少弐氏、のち大塚氏、あるいは、神代家臣大塚隠岐を経て当家に至る
と推定しているのは既出。
なんだか呪文みたいにずらずら並んでいるが、これは家柄のルーツ。DNA的には途切れていることが確定しているので、合わせて申し添えておく。
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さて、わが三潴大塚氏の直接的始祖が「神代長良」の家臣「大塚隠岐」ではないか?という推測で話はここまで来たのだが、もし万一それが間違っていたとしても、肥筑地方の「大塚」は少弐末裔である、という情報(by北肥戦誌)を信じるならば、大塚隠岐をすっとばしても少弐氏の子孫であるという仮説は成り立つわけだ。
そこで、今回からの「大塚氏系譜考補遺」では、2つの側面からご先祖さまをおいかけてみたい。
第74回は、「少弐氏」にスポットを当てる。
少弐関係の資料は、以外に多くないのだが、最もわかりやすくかつ、必要十分な情報が載っている資料としては、
武藤少弐興亡史 渡辺文吉著 海鳥社1989
を挙げたい。
少弐氏関係の資料は、各地にバラバラに存在するが、初心者にも十分わかりやすく一族の流れをしっかりまとめてある良書だと思う。
この中に、かつて2chで出ていた「大塚氏は少弐冬資の弟、資俊の三代後。大塚資氏より云々」の話の原典が載っている。
それは佐賀藩士であった大塚氏(現在までつづく)の系譜で、「大塚系譜」なるもの。現代に生きる大塚氏からの提供で筆者が採録している系図も掲載されている。
まだざっとしか読めていないので、これから詳細を検討するが、少弐氏から分かれて佐賀藩士として続く様子は手に取るようにわかる。
しかし、これは、簡単に言えば「少弐氏より龍造寺家臣を経て鍋島家臣としての大塚氏」の流れであり、
神代家臣としての大塚氏
については言及がない。ましてや当家に直接的につながる系図ではないので、詳細は現時点では不明としか言いようがないわけである。
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神代氏との関係は、次回もう少し別の切り口で見てみるのだが、少弐氏に絞ると面白いことがわかってきた。
これまで「古賀氏」については、漢の高祖を始祖とする劉姓・大蔵氏族であり、三潴郡古賀に至って「古賀」姓を名乗る一族と見てきた。
しかし、少弐氏から出た「少弐系古賀氏」という一族がおり、現在は一部が武藤氏に姓を戻しているという情報が入ってきたのである。
当家の隣村にやってきたという「古賀伊豆」が、あるいは少弐系古賀氏だったとすれば、「大塚も古賀もどちらも少弐末裔」という可能性も生じてくるわけで、さらに面白くなる。
当家の村と、隣村は古来より密接な連携関係があるのだが、
「馬場・中村・古賀・吉田・大塚」
などの苗字が多く、これらがすべて「少弐末裔の氏族苗字と合致する」ことは偶然ではあるまい。
いずれの村にも「天正期に竜造寺家臣がやってきた」伝承があり、そして、少弐系苗字が多く分布していることは、当ブログで追いかけてきた当家の由来のバックグラウンドとしては重要な証拠だと考えるわけである。
(つづく)
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