先日少弐系大塚氏の系譜について紹介したところだが、なんと別の系譜が発見されたので早速追いかけてみよう!
「歴代鎮西志」には以下のようにある。(原文漢文にて、訳した)
『 大永四年、馬場肥前守頼周は筑紫満門父子三人を謀略によって殺した。千葉胤勝の属衆は山中に逃げたが、この馬場氏は少弐氏の一族である。
玄祖少弐貞経入道妙恵に5人の男子があった。頼尚は世継ぎであり、次男は馬場肥前守経員と号した。三男は頼賢である。四男貞衡は大塚氏を称した。五男は僧宗応』
大永四年は1524年であり、馬場頼周は三根郡中野城を本拠とした馬場氏最後の武将である。(馬場氏は頼周をもって滅亡する)
その馬場氏の出自を示したのが上の記事なのだが、この記事によれば大塚氏は
「少弐頼尚と馬場経員の弟、少弐貞衡」
よりはじまることになる。
少弐頼尚は、南北朝~室町期の人であり、とすれば大塚氏もそこからはじまることになる。佐賀大塚家譜による「大塚」の出自より、少し早い。
それより何より、少弐頼尚その人こそが、筑後川の戦いにて敗戦し大宰府を追われた張本人なのである。
頼尚の跡を継いだのが、子の冬資であり、大塚家譜では冬資の弟を大塚家の祖とする。
いずれにせよ、少弐本流から分かれた「大塚氏」はたしかに存在するということである。このあたりは、系図の違いであり、現在の大塚氏への大きな流れはおそらく同一だと考える。
( 2つの別の大塚氏が存在するのではなく、ルーツの把握の仕方が異なる、ということであろう)
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