2014年7月17日木曜日

<話題>最高裁判決は、”戦国時代”で読み解け! DNA父子訴訟の真の意味

 今日は、ちょっと用事で仕事を朝から休んでいたのですが、テレビ番組では


「親子関係の訴訟」



について何度も特集していました。


 どういう話か、簡単にまとめておくと、日本各地で


「本当の生物的な父と、法律上の父が異なっている子供がたくさんいて、それらをどう”法的に位置づけるか”を問う裁判がたくさん起こっていた」


というのが第一段階です。


 ところが、日本各地の裁判所で、これらについてそれぞれ独立した解釈がなされていることに対し


「最高裁判所が、統一見解を出した」


というのが今日の判断。


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 yahoo!ニュースより  <DNA鑑定>法律上の父子関係取り消せず 最高裁が初判断
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140717-00000049-mai-soci



 結論から言えば


 DNA鑑定によって、生物学的父子でないと判断した場合でも、それを法律上の父子より優先させることはしない


ということになります。


 原則、民法772条の「妻が結婚中に妊娠した子は夫の子と推定する」(嫡出推定)規定を優先することになる、というのが今回の


 表面的な話


ですが、よくよく調べてみると、意外なことがわかってきます。


 たとえば、別の判例


「性転換手術をして、女性から男性になったお父さんの子について、DNA的には、絶対にありえなくても『嫡出推定を適用する』ということを最高裁はやってのけている」


ことを知ると、ナゾが解けてきます。


 これも簡単に言いましょう。元女性の男がいて、その奥さんがいて、どちらも生物的には女性なのに、奥さん側が人工授精で子供をもうけたら


「元女性の夫を父と認める」


としたのです。すごいでしょ?!



 表面だけを見ると、この判例は「元女性でも今男なんだったら、それを尊重する」という風に見えます。

 だから画期的な判決!ともてはやされたわけです。


 ところが、今回は「DNA上明らかに正しい父親でも、最高裁は認めない」という、表面的には時代錯誤な判決に見えるのです。


 だから、明治時代の民法そのままだなんて、旧態依然とした判決!だとコケ下ろされるわけです。



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 ところが、戦国時代から「家系」を見ている大塚某としては、最高裁判所が何を考えているか、はっきりわかります。


 最高裁判所がイメージしている「家」は、戦国史で解き明かさなくては理解できません。



 いったい全体どういうことか?!



 じっくり説明しましょう。




 当ブログでは、戦国時代からの「家のあり方」「苗字の由来」について研究しています。戦国・江戸期・明治期を通じて、「家」というものが連綿と続いている事実、これをきちんと理解しないと、


 最高裁判所のキ・モ・チ


は全く理解できないと思います。



 私たちがしがちな最大の誤解は


「家というのは家族のことで、それはお父さんとお母さんとこどもから成り立っている核家族のことだ」
 

というイメージです。残念ながら結果からいえば、それは間違っています。


 戦国時代の「家」というのは、

「主君を中心としたグループ・チーム・集団」

を指します。


 戦国武将の「大塚某」という人物がいたとして、そのいわゆる家族親族も「大塚氏」ですが、その家臣団も「大塚氏」だったりします。

 極端なことを言えば、その領民も「大塚氏」でかまわないわけです。


 そこにDNA的な血縁が入っていることもあれば、入っていないこともあります。初期にはなるべく婚姻関係を結ぶことでDNAを関連付けたいというベクトルが働きましたが、集団が大きくなったり歴史が下ってくると、「養子で継ぐ」とか「家督だけ継承」とか、いろんな形でDNAは形骸化します。



 でも「家」は続いていくのです。それも現代まで!



 そして、当時の「家」というチームは、それが即、職業集団を指し示していました。


 江戸時代の例のほうが分かり易いですが、「大塚家は家老の家柄だ」ということなら、


「大塚家の子孫は代々家老を継ぎ、長男以外も、なんらかの役職を求めてその藩にできるだけ臣従する」


わけですから、家柄すなわち職業でもあったわけです。




 これに一番近いのは


「うちの親族はみな国鉄系」


とか


「うちの家系はみんなトヨタ」


とか、そういう言い方・文脈ですね。”家”は”トヨタ”に似ています。



 うちはトヨタ系の家系だといえば、親戚のうちけっこうな人数がトヨタ社に所属していて、トヨタ軍の家臣であるというわけですね。




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 戦国時代の「家」は、そういう一族集団=「チーム」を指し示していましたので、江戸期に入っても、明治期に入ってもそのイメージは維持されてきました。


「家長制度」「家父長制度」はその端的な例です。

 「一族の長であるおっさんがいて、そこにいろんな家臣(家族)が所属している」という形で、当時の戸籍は編集されています。



 今回の最高裁判例を、その考え方で紐解いてみると、よくわかります。



① 「家族というのは、集団・チームをあらわす”箱”である」


② 「父という役割は、法的には”父という職域・職名”だと想定できる」


③ 「なので、その父がDNA上の父であろうとなかろうとどうでもいい。職域上の父子関係は尊重される」



というルールなのですね。


 だ・か・ら、父(夫)は職名にすぎないので、DNA上は女性であっても、その役職につけると考えたのです。



 言い方を変えてみましょう。


① 「ここに大塚藩という藩がある。大塚藩という箱なのだ」

② 「ここに藩主という職名がある。家老という職名もある」

③ 「なので、その藩主が大塚家の生まれであってもなくても、他の家から入れた養子であっても、どうでもいい。職域上の藩主・家臣関係は尊重される」


ということです。


 江戸時代には、藩主の跡継ぎがない場合は、「お家断絶」でした。なので、その場合はなんでもいいからどこかから子供を拾ってきて跡継ぎにすればOKだったのです。



 だから日本の法制度においては



 「DNA上の実父よりも、法制度上の”父”が優先される」



と考えたのです。



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 それを言うのならば、もっとすごいことがあります。

 みなさんが「家」だと思っている箱の名称についてです。



 私は「大塚家」という箱の名前を持っていますが、そのラベルが正式についたのは


明治3年(1870)の平民苗字許可令、明治8年(1875)の平民苗字必称義務令


によります。


 この時代に大塚姓を名乗った人物からすると、私は、1/16のDNAしか受け継いでいません。

 人によっては、1/32のDNAで現在の苗字を名乗っていることになるわけです。



 これを%で言い直します。


1/16=6.25%

1/32=3.125%



いいですか?


私の93.75%は大塚の血が入っていないのに「大塚というラベルをつけている」


あなたの96.875%は田中か鈴木か佐藤かの血が入っていないのに「田中・鈴木・佐藤のラベルをつけている」


ということになるのです。



 だから最高裁判所は、DNAに固執しないのです。


 そもそも家制度は「箱」「ラベル」なのだから、DNAを一部分だけ取り出してどうこう言っても仕方がないわけです。








2 件のコメント:

  1. 家長制度は戦後の戸籍法でなくなったけど、
    日本の伝統である「家」に対する意識は残したって事だと感じました。

    戸籍より生物学的DNAを優先させるなら、戸籍法の根幹の崩壊になります。
    該当者には理不尽でしょうけど、これが日本古来の伝統と秩序の形です。

    近年、非嫡出子と嫡出子の遺産相続が同等になったようですが、個人的には反対でした。
    戸籍上の妻は、夫の親族との面倒な付き合いは勿論、自分らの親世代なら旦那親介護を一手に担ってたはずです。
    病める時、苦しい時は正妻の負担、無責任な楽しい事は浮気相手と、で子供の権利はどっちも平等?
    子供の権利が認められたのと引き換えに、正妻の精神的被害は考慮されてない。
    人道的見地ってナンダローって感じる出来事でした^^;


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  2. 家制度や「長男が家督を受け継ぐ」という考え方は、基本的には「次世代に財産を受け継ぐ」という観点ではないでしょうか。

    子供が多く生まれることで所領を分割していては、スケールメリットが失われます。しかし、長男に家督相続させることで所領は大きいまま維持できます。次男以降は、家臣下することで一族として所領を守るという発想ですね。

    もし、個人の平等を推し進めると、一人当たり領地はどんどん細分化されます。昔の人はそれを「田分け!(たわけ=アホ)」と断罪しました(^^;

    現在の若者の貧困も実は同じ話で、子供3人が皆派遣社員で15万円の給与でカツカツ生活をするから苦しいのであって、兄弟3人が力をあわせて45万円の生活をすれば、財政基盤は安定し、そこから貧困を解決することも可能なのです。


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