ちなみに、今回『肥陽軍記』を紹介したのは、当ブログにおいて勝手にお世話になっている(^^;方に少しでも恩返しを、という気持ちで引っ張りだしてきたのである。
その方のブログを見なければ、肥前系の大塚氏には目が行かなかったので、心より感謝している。
この場を借りて御礼申し上げますm(_ _)m
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ついでながら私信。
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E5%8F%B2%E8%B3%87%E6%96%99
この辺りにも、思わぬ拾い物が転がっていたりするので、暇つぶしにでも。
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というわけで、話を戻して『肥陽軍記』である。
近代デジタルライブラリーより 「史籍集覧 第15冊」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920302
コマ285から「肥陽軍記」は始まるのだが、ざっと読むだけで佐賀大塚氏がパラパラ登場。
<コマ295> 「大塚左兵衛尉」「大塚市左」の記述。この親子は当然龍造寺家臣。同じ名前は北肥戦誌にも、歴代鎮西志にも出てくる。
<コマ319> 628Pに「大塚半左衛門」登場。この人物は北肥戦誌にも、歴代鎮西志にも出てくる。
さて、ここからが今日のメインテーマ”夢の共演”である。
629Pにこうある。
『河浪大塚福地中島犬塚石井のこらず打ちふせられ』
すごい!大塚と犬塚をちゃんと書き分けている一文に出会ったのははじめて!キャー!
これまで、当ブログで書いてきたように、とにかく「大塚と犬塚」の混同誤用があるので、目をこらしてしっかり見張っていなければならないのだが、珍しく「肥陽軍記」だけは、ちゃんと使い分けをしているのである。
というわけで、この作者を褒めてつかわそうと思っていたのだが、よくよく読んでみると・・・。
問題の箇所は629Pではなく、むしろその前だった。628P、さっき「大塚半左衛門」が出てきた箇所をもう一度読み直してほしい。
『河浪河内守福地周防守中島内蔵助大塚半左衛門大塚宮内少輔石井大隈守以下死人を乗り越えのりこえ』
ん??
んん??
もう気付いたと思うが、628のフルネームと、629の苗字呼び捨ては、ちゃんと呼応している。
ということはである。
「大塚宮内少輔」は、犬塚宮内少輔の間違いなのである!!
注)犬塚宮内少輔は北肥戦誌に登場。
やっぱり間違えとるやないけ!
せっかく褒めてやろうと思ったのに「肥陽軍記」よお前もか!!
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