さて、毎週楽しみにしている「軍師官兵衛ちゃん」でございます。
いつものように一足お先に「BSバージョン」を見てからのブログ更新。
今日前半のみどころはなんと言っても
「恵瓊殿、おぬしも悪よのう」
的な、官兵衛と恵瓊の「腹黒密談」でしょうか(笑)
まあ、あんな会話があったかどうかは別にして、毛利との和睦をちゃっちゃと済ませて
中国大返し
のスタートです。
ちなみに、天正10年6月2日に本能寺の変が起こり、6月3日夜から6月4日明け方のうちには備中の秀吉が「事件が起こったことを知っていた」そうですから、
秒速で情報を知る男
ということになります。twitterよりは遅いものの、あるいは新聞より速いかも?!
3日夜に恵瓊と官兵衛の対談、3日深夜から4日早朝に毛利方との会談、6月4日午前中に清水宗治切腹の段取りだったというのだから、
すべてが超ハイスピードで
進んでいます。
秀吉の備中撤退は、6月4日もしくは6日説、姫路城到着は6日もしくは8日説とのことですから、
超高速!参勤交代
もびっくりの最速大移動ということになります。
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それにしても、今回の官兵衛ちゃんの発言で目立ったのは
トップシークレットを誰にでもバラしているその口の軽さ
でありました。 まあ、ドラマですからな。
しかし、逆に言えば、敵であるはずの恵瓊どのにバラした件は横に置いといても、あれだけ最速で事を進めるためには、「ナイショ」にしていてはおそらく無理です。
秀吉軍上層部の間にあっては、早急に状況を把握して、「意思統一」がなされなくてはならなかったはず。
それをあまりに迅速にやってのけたところが「秀吉が本能寺の変にいっちょ噛んでたんじゃないの?」説に繋がるのかもしれません。
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ちなみに、今回一番の影の立役者「安国寺恵瓊」は、なかなか謎の人物です。
ウィキペディアより 安国寺恵瓊
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9B%BD%E5%AF%BA%E6%81%B5%E7%93%8A
毛利家臣から秀吉家臣、朝鮮出兵まで行っているこの男、僧でありながら戦国大名としての裏の姿もあったとかなかったとか。
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