ご先祖さま探しをしていると、当家に関わらずよく、こんな話を聞きます。
「うちは昔名家だったらしいが、没落した」
「昔は土地をたくさんもっていたが、今は全部手放している」
「うちは庄屋だった。現在はただの庶民だが」
こういう話を、一般的には「ああ、少しでも自分の家をよく思いたい、よく感じたい気持ちの名残なんだな」と解釈することが多く、家系図業者さんのサイトやブログ、苗字研究家さんの記述なども、そういう見立てをしている場合が見受けられます。
なので、私を含めて「ご先祖様探し系」の活動をしている人は、「その家に伝わっている伝承や、言い伝え、昔話は脚色されていることが多いから、注意しようね」というスタンスで物事に当っておられると思います。
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ところが、最近、いろいろ調査しているうちに、私個人は少し違う見立てをするようになりました。一般論として「家系は装飾しがちである」「伝承は、ちょっと良く見せたがるものである」ということまで否定するつもりはないのですが、
名家とは、没落するものである!
という公式のようなものを発見したわけです。
私のところに情報を寄せてくださる大塚さんの中に、同じような話を寄せてくださる沢山おられます。
「うちは昔は名家だったらしく、土地もたくさんもっていたらしいが没落した」
とか、今日の記事の冒頭に書いたような伝承は、やたら溢れているのです。
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実は、うちの母方の先祖について、大塚家同様に調査に入っているのですが、その家については、江戸中期に書かれた書物に
「○○家は、旧家であり、この地方の庄屋を代々務めていた」
という記録が残っています。
さて、この記録。別に自画自賛でもなんでもなく、別の藩の藩士が現地調査をして書きとめていった記録なので、客観的にその時代にその家は、たしかに庄屋だったということになります。
ところが、母方の実家は、現在では庶民も庶民、ド庶民です。名家の面影は、まったくありません。
まさしく没落した名家そのものなのです。
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なぜ、こういうことが起きるのか。なぜ、実際に名家は没落するのか。そこには、
激動のシステム ー リストラクチャー
が渦巻いていることがわかってきました。
少し考えてみるとわかりますが、逆説的に言ってみると、
「没落していない、名家」
を例示することができるのか。という考え方を投げかけてみます。
”昔から庄屋の家柄で、今もたくさんの土地を持っていて、豪農として、地域一番の農協の得意先である、そんな氏族がいる”
という仮の命題を掲げてみたとき、「あれ?そんなヤツ、あんまりいないなあ」ということにすぐ気付くと思います。
そうなんです。いないんです。そんな人。
武士でもいいです。
”昔からの武家の名家で、今も子孫はみな警察と自衛隊に行っていて、地域一番の武家として崇敬を集めている家がある”
・・・こっちになると、さらに想像しやすいですね。そんなヤツいない、と。
どういうことか。今度は、最後の例を挙げてみます。
”昔からの商家で、いまも続いていて、大企業として残っている家柄がある”
これは、あるんです。それもたくさん!
三井とか三菱とか、住友とか。いわゆる豪商の名家から現代に続く企業はたくさんあります。
これがどういうことかわかりますか?
名家の農家は現代では没落している。
名家の武家は現代では没落している。
名家の商家は現代でも残っている。
そう。つまり、これは
産業構造の変化
を如実に説明してるわけです。
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江戸時代における農家豪農・庄屋層というのは「米の生産」を貨幣価値に換算して資産を形成していました。
おなじく、武家は、それらの米を「領主」として一定歩合でピンはねすることで、資産を形成していました。
ところが、少なくとも明治維新によって、農家は直接的に貨幣を生産することが不可能になりました。
武家の給料が「石高」で表されていたように、武家も「米という貨幣」によって、資産を維持していたのに、それが崩壊しました。
ご存知の通り、明治維新以後は貨幣経済がメインになっています。また、これも歴史通なら自明のことですが、
江戸時代中期から、実際には米=貨幣システムは破綻しはじめていた
ことがわかっています。だから札差などの商人が力を持つようになったのです。
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さて、当初の問題に戻りましょう。
武家としての「名家」とは領地をたくさん持ち、米のとれる石高が多い家柄を示しています。
庄屋などの農家もそれに準じて、実際に土地を動かし実務上取れる米が多い家柄を示しました。
ところが、米経済から貨幣経済に切り替わった瞬間、旧来の「名家」は
大規模なリストラクチャー
を迫られることになったのです。土地をそのまま米の石高で運用できなくなり、明治期に「商人」としてスタイルを変化させられたものだけが、生き残れることになったわけです。
つまり、それができなかった大半の名家は、そこで没落したのです。
元地主で、今も名家であり続けられている家は、明治大正昭和の初期に「会社を起こして商人となった」者だけです。
持っていた土地資産を、別の形に変えて運用できたものだけが、現代の名家になれたのです。
それ以外の「元名家」がなにをやってしまったか。それが、名家没落の定番ルートです。
そう、彼らは、持っていた土地を少しずつ小作人などに切り売りし、土地を現金化して、江戸期から昭和初期までを生活しました。
だから、ほとんどすべての名家は没落したのです。
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恐ろしいことに、かつて名家だった庄屋や武家は「土地や領地を持っていた」だけで、実務として資産を運用したり、生産したことはただの一度もありませんでした。
つまり、貨幣経済にはまったく太刀打ちができなかったために、大半の名家は、ただ、資産を垂れ流しただけに終わってしまったようです。
それゆえに、各家の伝承には
「どうやって土地を失っていったか」
という話がけっこうリアルに残っています。
恐ろしいことです。
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