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2016年2月13日土曜日

<姓氏家系>完全網羅 苗字 武藤姓・武藤氏・武藤さんのすべて! 全武藤氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル

 今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。


 全国の武藤氏・武藤さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。

 抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。
(最終更新 2016.2.1)


☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆



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★ 参考文献 ★

 今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。

 ① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館

    http://kindai.ndl.go.jp/

 ② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版

 ⑤ 「日本の苗字7000傑」  http://www.myj7000.jp-biz.net/
 

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 今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。

※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。

【  】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。


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A  武藤氏  武蔵国の藤原秀郷流、あるいは武者所の藤原氏より。【五三桐】【藤菱】


B  武藤氏  伊予北条・河野氏より武藤氏 四国地方。


C  武藤氏  清和源氏義光流 武田氏族


D  武藤氏  滋野氏流より海野氏族武藤氏。信濃地方。【六連銭か】


E  武藤氏  称海野氏流真田氏より、武藤姓。信濃地方 Dと同族か?


E  武藤氏  武田氏族大井氏より、武藤姓。


F  武藤氏  伊豆国造一族より三島神主家流武藤氏。


F  武藤氏  藤原秀郷流より近藤氏族(少弐氏の源流) 【目結】


G  武藤氏  九州少弐氏のうち武藤復姓。【目結】





そのほか、武藤姓の家紋では


【対藤菱】

【下り藤】



などを用いるものがある。


 この他は現在調査中。

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<告知です>

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詳しいサービス内容は上記リンクをご参照ください。


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2014年8月22日金曜日

<92-2・姓氏家系>九州北部の苗字スペシャル!少弐氏末裔・子孫の姓氏・苗字総まとめ!

 前回に引き続いて九州中世のビッグネーム「少弐氏」とそこから分かれた各諸氏について紹介する今回の記事。


 判明分ごとに詳細を追加してゆくのでお楽しみに!!


 (2014.8.23判明分)


基礎資料

『北肥戦誌』によれば
 
「九州には肩を並べる者がなく、子孫は次第に繁栄し、朝日・窪・出雲・平井・馬場・山井・志賀・大塚・加茂・吉田と名字が分かれる。一門はそれぞれ肥筑地方に蔓延って大勢の者となった」

との記載があります。





◇「少弐」さん

 現在も九州に残る少弐姓、苗字の由来はもちろん大宰少弐の官職による「武藤少弐」の系列だと考えられます。

 戦国武将・戦国大名としての少弐本流は滅び、大半の子孫は「武藤」に苗字を戻していますが、「少弐」姓のまま現代にいたる家系も。 

 福岡県から山口県にかけて現在も分布している苗字だそうです。



◇「武藤」さん

 少弐氏の本来の苗字、それが「武藤」氏です。少弐本流が滅びた後、苗字を武藤に戻している家系がおおいとのこと。「少弐さん」の項を参照のこと。



◇「朝日」さん

 少弐盛経の子の少弐資法が祖とされています。佐賀県朝日山城を拠点としましたが、本流は断絶しています。


 ウィキペディアを参照のこと。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%B0%8F



◇「横岳」さん

 少弐貞頼の子頼房が文安元年(1444)、肥前国三根郡西島を拠点として横岳を称したことからはじまります。
 

 播磨屋さんのサイトを参照のこと。
 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yokotake.html



◇「平井」さん

 少弐資頼の次男盛氏の子経氏が平井と改姓し肥前に移ったとされています。
 室町時代には千葉氏家臣となったことが、佐賀県杵島郡白石町のサイトに示されています。

 白石町ウェブサイト
 http://www.town.shiroishi.lg.jp/view.php?pageId=2298



◇「馬場」さん

 少弐貞経の息子「少弐経員」から始まり、佐賀県綾部城近辺を拠点としました。(現みやき町)
 系譜の詳細は「大塚さん」の項を参照のこと。


 
◇「大塚」さん

 当ブログにて追跡中の、少弐系大塚氏は、3系統見つかっています。

① 佐賀の大塚家に伝わる系譜では、少弐冬資の弟、資俊から-某-資忠-資家-俊氏と続き、この少弐俊氏が嘉吉元年に佐賀、三根郡大塚村に来て大塚と名乗ったとのこと。
 家紋は、靠目結を略して釘抜の紋に変えたそうです。出典は『武藤少弐興亡史 渡辺文吉著 海鳥社1989』

② 『歴代鎮西志』によると、

『少弐貞経入道妙恵に5人の男子があった。頼尚は世継ぎであり、次男は馬場肥前守経員と号した。三男は頼賢である。四男貞衡は大塚氏を称した。五男は僧宗応』

という系譜で、少弐貞衡から大塚氏がはじまります。

③ 『肥前旧事続編料』によれば、

『永正9年、佐賀本庄神社の宮司別当大塚新右衛門藤原重家という人物がいたが、あるいはこの家は現在は絶えていて、今の大塚氏は與賀神社神官千布氏の次男が家を継いで大塚と称している』

という話が伝わっています。



◇「吉田」さん

 少弐資頼の弟宗平の子孫の頼宗が、規矩郡(現在の北九州市小倉近辺)吉田村を開発して土着し吉田を称したことにはじまります。下記サイト参照のこと。

 企救の里のサイト
 http://www.geocities.jp/kikunosato2005/sub1a.html



◇「古賀」さん

 少弐氏系の古賀氏の系譜です。

 『永正3年、少弐重房が穂波郡弥山に隠れて、はじめて古賀氏を称し、その子、古賀重儀が天文23年に上座郡に移住、平松村を興した』

という話が、『考証古賀家譜・S13古賀氏同族会』に記されています。




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2014年8月19日火曜日

<92-1・姓氏家系>北部九州の苗字スペシャル まずは少弐氏! 少弐末裔子孫総まとめ!

 今回は、少弐末裔を自称する大塚某が、じっくりじんわりと調査した「少弐子孫スペシャル!」をお届けします。


 福岡・佐賀・長崎など、九州の北部から中部にかけて広がっているはずの「少弐氏の子孫」を明らかにする大特集!

 もしかしたら、あなたの苗字があるかもしれません!


 まずは、前半戦。少弐氏の歴史について振り返っておきましょう。




『少弐氏とは』

 
 時は平安時代の末から鎌倉時代にかけて、武藤頼平という武将がおりました。

 武藤とは「武蔵の国に拠点をもつ藤原氏」の意味で、藤原北家の出、藤原秀郷の子孫とも藤原道長の子孫とも言われています。

 頼平は、平安時代末期「武者所」に就き、のち源頼朝に従い、鎌倉幕府御家人となります。 


 その頼平の養子となったのが武藤資頼、この武将ははじめ平氏方にいたものの、これまた源頼朝の御家人となります。


 ちなみに頼平の本姓は「藤原」ですから、本名は「藤原頼平」となります。この藤原頼平のお兄ちゃんに「藤原能成」がおり、彼は近藤能成を名乗ります。


 その息子「藤原能直」は、母方の領地、相模国足柄上郡大友郷を領してから大友能直を名乗ります。


 血縁関係はないものの、家柄的にはいとこである「武藤資頼」と「大友能直」の二人は、このあと激動の九州史を率いてゆくことになるのです。



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 時は建久年間(1190~)のこと。1192いいくにつくろう鎌倉幕府が始まってまもないこの時期に、資頼と能直の義理のいとこ同士の二人は、そろって九州行きを命じられます。


 資頼は大宰府少弐職、能直は資頼と一緒に鎮西奉行に就任、また、それぞれ北部九州の守護職なども歴任するようになるのでした。


 これをもって、藤原資頼かつ武藤資頼は「少弐氏」の祖、藤原能直かつ大友能直は「(豊後)大友氏」の祖となります。


 少弐氏、大友氏ともこのあと激動の南北朝・戦国時代をフルスロットルで駆け抜けてゆくことになるですが、それはまた別のお話。





『少弐氏の子孫たち・庶家・支流・分家』


朝日
出雲
安永
窪〔久保〕
吉田
西
山井
志賀
加茂
城
堀
平井
肥後
横岳
馬場
早良
筑紫
島
大塚
倉町
関
平原
宗

など 古樹紀之房間さんより引用
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/fujiwarag.htm


『大友氏の子孫たち・庶家・支流・分家』


立花
戸次
田原
志賀
田北
託磨
臼杵
入田
吉弘
堤
木付
清田

など ウィキペディアより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E6%B0%8F





2014年7月6日日曜日

<76>武藤少弐大塚氏 系図スペシャル! 親愛なる九州の大塚さんへ

 さて、お立会い!

 九州、肥筑地方に広がっている「大塚」姓、「大塚」氏、「大塚」さんのうち、もしかしたらご先祖様かもしれない?!可能性が大きい


 武藤少弐 大宰少弐 系 大塚氏


の系図スペシャルが登場である。


 この系図は、もともと「大塚系譜」というもので、佐賀藩士として現存する大塚家の系図、ということになる。

 引用元は 渡辺文吉著『武藤少弐興亡史』海鳥社1989 であるが、「大塚氏研究」のために中世期に限って必要最小限を引用、かつ考察を加えるものとする。

※一部略記あり。


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大塚氏  本姓藤原 家紋重釘抜


武藤筑後守資頼より6代

- 頼尚 (大宰少弐筑前守) 

- 直資(新少弐早良次郎)

   冬資(大宰少弐)

   資俊(西筑前守) - 某(西弾正大弼) - 資忠(西山城守) - 資家(西尾張守)


<資家より>

- 俊氏(西三河守)

  嘉吉元年少弐教頼没落の時筑前より当国三根郡大塚村に来たり居、苗字を大塚に改め家紋靠目結を略して釘抜の紋とす。


- 家政(大塚三河守) - □ - □ - □ - 家俊(大塚左兵衛祇園原戦死)

  家郷(大塚左京亮 初め西上総介)


<家郷より>

- 家国(西陸奥守 後に改め倉町上野介家直)

- 頼宗(大塚左京亮 実は馬場伊豆守頼経の子)

   家光(倉町蔵人)


<家国より>

- 家宗(大塚三郎四郎) - 家清(大塚左京) - 盛家(大塚左京)


<家宗より>

- 家房(大塚新兵衛)

   宗清(左兵衛尉) - 氏清(右衛門允) - 為清(久右衛門) - 頼清(与兵衛)


<頼清より>

- 輔清(右衛門允) - 俊清(久右衛門)寛文元年卒



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 嘉吉元年が1441年で、室町時代のこと。

 寛文元年は1661年で江戸時代前期のこと。


 この大塚氏は最終的には佐賀鍋島家臣となるので、


 少弐氏 - 龍造寺氏  - 鍋島氏  と仕えてきたことになる。



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 「北肥戦誌」に、「大塚左京亮盛家」なる人物が、小城勢の中に「岡の大塚左京亮盛家」などとして登場するのだが、


家国のひ孫の「盛家(大塚左京)」


がその人物なのだろうか?


 その他、「小城一揆」メンバーに「大塚左京允」が出てくるのだが、上記系図の大塚氏は「大塚左京亮」を名乗っているので、同系列か?


※「亮(まこと)」「允(まこと)」意味はおなじ。


 とすると、小城衆の大塚氏は、独立氏族ではなく、そもそもは少弐から出た、ということになる可能性あり。