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2022年10月15日土曜日

<126> 古賀伊豆関連の補足 (稿本八女郡史より 福岡県史資料より メモ)

 

古賀伊豆に関してのメモ・補足です。


 

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P46

佐野胖平

大田黒孫七の第2子

同族三潴郡八町牟田村 処士 佐野興右衛門の貫籍たり

大田黒氏も、佐野氏も、もとは古賀氏

貫籍を偽った。

(稿本八女郡史)

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 八丁牟田の佐野氏あるいは大田黒氏も、もとは「古賀氏」であるという話があります。

 このエリアに一定数の古賀氏がいるということは、古賀伊豆の子孫の可能性があると考えます。

 

 

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P68

八丁牟田 大庄屋 古賀利右衛門


(福岡県史資料)



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 そののちの八丁牟田の大庄屋は古賀氏です。



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<補足>

 

日本医史学雑誌 第49巻より

 

”福岡県での調査により、久留米地方で、太田黒家が存在したということが明らかになった。古賀幸雄が昭和五〇年に発表した「久留米藩旧家由緒」によれば、太田黒家は筑後国下妻郡中折地村に在った。現在の筑後市になる。四代目から姓を溝上から太田黒へ改め”

 

 

 






2014年8月30日土曜日

<姓氏家系>完全網羅 苗字 古賀姓・古賀氏・古賀さんのすべて! 全古賀氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル

<改定済>

 今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。


 全国の古賀氏・古賀さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。


 抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。 (最終更新 2014.10.8)


☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆




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★ 参考文献 ★

 今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。

 ① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館

    http://kindai.ndl.go.jp/

 ② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版

 ⑤ 「日本の苗字7000傑」  http://www.myj7000.jp-biz.net/
 
 ⑥ その他「考証古賀家譜」etc

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 今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「古賀姓」「古賀氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。

※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。

【  】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。


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A  古賀氏 筑後国三潴郡古賀郷の漢帰化族(劉姓)。寛政譜22 【二重釘抜】【三つ鱗】

A  古賀氏 後漢霊帝の末裔といわれる帰化人 坂上田村麿流

B  古賀氏 肥前国の少弐氏族 秀郷流藤原氏より出る。

C  古賀氏 寛政譜にある狛氏流とされる古賀氏。佐賀藩に仕え、一部幕臣。

D  古賀氏 清和源氏武田氏流 肥前空閑邑より起こる。

E(A~D?)  古賀氏 豊前中津・宇佐に古賀氏あり。


その他古賀姓の家紋として


【梅鉢】

【五本骨日の丸扇】

【丸に枡】

を用いるものあり詳細未詳。


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但し、古賀姓はそもそも「空閑」=空き地、開発前の土地を意味することばから起こっており、九州地方特有の「古賀」姓のみならず、それに類した別の漢字が当てられている場合も考慮が必要です。


「古賀」・・・筑前・筑後・肥前に多い。

「空閑」・・・肥前に多い。

「古我」・・・相模にあり。

「古河」・・・下総にあり。

「小鹿」

「小賀」・・・安芸にあり。

「玖賀」・・・丹波にあり。

「玖珂」・・・周防にあり。

「久賀」・・・山城・下野・周防にあり。

「久我」・・・山城にあり。


(参考文献、『考証古賀家譜』)



このほかは、現在調査中!


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2014年8月22日金曜日

<92-2・姓氏家系>九州北部の苗字スペシャル!少弐氏末裔・子孫の姓氏・苗字総まとめ!

 前回に引き続いて九州中世のビッグネーム「少弐氏」とそこから分かれた各諸氏について紹介する今回の記事。


 判明分ごとに詳細を追加してゆくのでお楽しみに!!


 (2014.8.23判明分)


基礎資料

『北肥戦誌』によれば
 
「九州には肩を並べる者がなく、子孫は次第に繁栄し、朝日・窪・出雲・平井・馬場・山井・志賀・大塚・加茂・吉田と名字が分かれる。一門はそれぞれ肥筑地方に蔓延って大勢の者となった」

との記載があります。





◇「少弐」さん

 現在も九州に残る少弐姓、苗字の由来はもちろん大宰少弐の官職による「武藤少弐」の系列だと考えられます。

 戦国武将・戦国大名としての少弐本流は滅び、大半の子孫は「武藤」に苗字を戻していますが、「少弐」姓のまま現代にいたる家系も。 

 福岡県から山口県にかけて現在も分布している苗字だそうです。



◇「武藤」さん

 少弐氏の本来の苗字、それが「武藤」氏です。少弐本流が滅びた後、苗字を武藤に戻している家系がおおいとのこと。「少弐さん」の項を参照のこと。



◇「朝日」さん

 少弐盛経の子の少弐資法が祖とされています。佐賀県朝日山城を拠点としましたが、本流は断絶しています。


 ウィキペディアを参照のこと。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%B0%8F



◇「横岳」さん

 少弐貞頼の子頼房が文安元年(1444)、肥前国三根郡西島を拠点として横岳を称したことからはじまります。
 

 播磨屋さんのサイトを参照のこと。
 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yokotake.html



◇「平井」さん

 少弐資頼の次男盛氏の子経氏が平井と改姓し肥前に移ったとされています。
 室町時代には千葉氏家臣となったことが、佐賀県杵島郡白石町のサイトに示されています。

 白石町ウェブサイト
 http://www.town.shiroishi.lg.jp/view.php?pageId=2298



◇「馬場」さん

 少弐貞経の息子「少弐経員」から始まり、佐賀県綾部城近辺を拠点としました。(現みやき町)
 系譜の詳細は「大塚さん」の項を参照のこと。


 
◇「大塚」さん

 当ブログにて追跡中の、少弐系大塚氏は、3系統見つかっています。

① 佐賀の大塚家に伝わる系譜では、少弐冬資の弟、資俊から-某-資忠-資家-俊氏と続き、この少弐俊氏が嘉吉元年に佐賀、三根郡大塚村に来て大塚と名乗ったとのこと。
 家紋は、靠目結を略して釘抜の紋に変えたそうです。出典は『武藤少弐興亡史 渡辺文吉著 海鳥社1989』

② 『歴代鎮西志』によると、

『少弐貞経入道妙恵に5人の男子があった。頼尚は世継ぎであり、次男は馬場肥前守経員と号した。三男は頼賢である。四男貞衡は大塚氏を称した。五男は僧宗応』

という系譜で、少弐貞衡から大塚氏がはじまります。

③ 『肥前旧事続編料』によれば、

『永正9年、佐賀本庄神社の宮司別当大塚新右衛門藤原重家という人物がいたが、あるいはこの家は現在は絶えていて、今の大塚氏は與賀神社神官千布氏の次男が家を継いで大塚と称している』

という話が伝わっています。



◇「吉田」さん

 少弐資頼の弟宗平の子孫の頼宗が、規矩郡(現在の北九州市小倉近辺)吉田村を開発して土着し吉田を称したことにはじまります。下記サイト参照のこと。

 企救の里のサイト
 http://www.geocities.jp/kikunosato2005/sub1a.html



◇「古賀」さん

 少弐氏系の古賀氏の系譜です。

 『永正3年、少弐重房が穂波郡弥山に隠れて、はじめて古賀氏を称し、その子、古賀重儀が天文23年に上座郡に移住、平松村を興した』

という話が、『考証古賀家譜・S13古賀氏同族会』に記されています。




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2014年8月6日水曜日

<89>少弐系「古賀」氏を示す一大資料! 九州の「古賀」さんのルーツ 「考証古賀家譜」

 ちょっとここのところ更新が滞っているが


「著者取材のため休載」


なーんてかっこいいことを書いてみたいが、そうではない。

(書いとるやんけ)


 実は、いろんな情報が「ワーッ」と集まってきたりしているので、全然整理が追いつかないのである。


 とある大塚さんから、佐賀藩に伝わる「大塚氏」の一系統について情報を寄せていただいたり、先日来追いかけている「豊前大塚氏」について、新しい情報が入ったり、三潴は三潴で、ちょっと違う角度から調査をやり直したりしている。


 というわけで、今回はメモ代わりの記事。


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 九州地方の「古賀」さん、といえば、有名中の有名な苗字である。


 古くは、


 古賀政男 さん

 ウィキペディアより
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7


 いわずとしれた大作曲家である。この方、現在は大川市という名前になっているが、れっきとした旧三潴郡の出であり、あるいは、当ブログでは有名な

「古賀伊豆」

に関わりがあるかもしれないかも。なんてね!



 近年では、柔道の


 古賀 稔彦 さん

 ウィキペディアより
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E7%A8%94%E5%BD%A6


 平成の三四郎と呼ばれた男、これまた言わずとしれた金メダリストである。

 ん?んん?

 出身が、”佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)”?!


 バ、バリバリの少弐・龍造寺・鍋島エリアではないか!


 

などの有名人を多数輩出している古賀氏であるが、一般的には、


「劉姓渡来人末裔の古賀氏(三潴郡古賀村本拠)」


が幕臣として伝承を遺しているので、姓氏辞典などではこちらの系統を伝えているものが多い。


 もちろん、私も、当初はそれを信じた。


 しかーし!である。


 上記古賀氏が、ゆえあって「龍造寺、鍋島に仕えて、現在に至る」というお話。そういう系統もあるかもしれないが、私はけっこう半信半疑になってきた。


 

 ここで、あえて言おう!




 まだ、ちょっと自分でも未整理なので、これを口にするのは時期尚早なのだが、


 そもそも赤松氏流大塚氏なんて、いたのか?


とも思う今日この頃。あーあ、言っちゃった。


 当ブログの初期からのファンの方は今頃「ちゅどーん!!!」とぶっ飛ばされている気がするが、平に、ひらにお許しいただきたい。


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 どういうことか。


 「寛政重修緒家譜」に記載のある各家の系図であるが、どうも現地から遠く離れた「江戸中心」に書かれている点や、「とりあえずお前の家の由緒をもってこい」と集めさせた点から見て、

 
 あ・や・し・い


系譜が紛れ込んでいるように思うのだ。


 鍋島氏ですらそうだ。同僚の幕臣から「今度、系譜調査があるらしいよ。ちなみにあんたの家の由来は?」みたいなことを聞かれて、

「え?あ、少弐!しょうにだよ(たぶん)。佐賀では一番の名家だし、そうそう、少弐しょうに!」

とその場しのぎで答えた、と記録にあるくらい怪しいのだ。


 悪いが、当ブログにおいて綿密な調査をすればするほど「赤松系大塚氏」なんて出てこないのである。

(もちろん、赤松”家臣”の大塚氏は存在する)


 幕臣古賀氏の系譜もそうだ。漢の高祖の末裔とか、ほんまか?と疑いたくなる。



 つまり、こういうことである。現地サイドに立つと、姫路には赤松系大塚氏なんていないし、筑後には劉姓古賀氏なんてよくわからんのである。


 だから、「寛政重修諸家譜」の記載は、あてにならん記述が含まれているということだ。



 しかし、姓氏家系研究を全国規模でやろうとすると、とりあえずビールのように「寛政譜」はおさえとかないとダメなので、そのせいで


 実はあやしい記載でも、それなりのポジション(信頼性があるような位置)におかれている


ことがあるような気がするのである。



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 そこで、佐賀と福岡の地元民が、何を探してきたか、ということで、私がやってるのと同じようなことをしていた


古賀益城さん


という偉大な先輩が書いた資料を公開しよう。



 近代デジタルライブラリより 「考証古賀家譜」
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096892?tocOpened=1



 この資料は、簡単に言えば


「う、うちらの『古賀』は、どう考えても少弐末裔じゃい!」


(少弐末裔の古賀がいるんだもん)


ということを調べまくった資料である。


 私も、とりあえず上記「考証古賀家譜」を一定度合い支持したい。


(すべての古賀さんじゃないかもだけど、少弐系古賀さんは、確かにいるんだもん、ということ)



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 ちなみに、われらが黒田官兵衛は、貝原益軒が勝手に系譜を捏造したので、近江だとかわけわからんとこの出身にされているが、


ガッツだぜ!の播磨黒田庄 (トータス松本氏の出身地)



こそが、真の黒田ルーツだと、私も思っている。それが地元調査の重みである。