ちょっとここのところ更新が滞っているが
「著者取材のため休載」
なーんてかっこいいことを書いてみたいが、そうではない。
(書いとるやんけ)
実は、いろんな情報が「ワーッ」と集まってきたりしているので、全然整理が追いつかないのである。
とある大塚さんから、佐賀藩に伝わる「大塚氏」の一系統について情報を寄せていただいたり、先日来追いかけている「豊前大塚氏」について、新しい情報が入ったり、三潴は三潴で、ちょっと違う角度から調査をやり直したりしている。
というわけで、今回はメモ代わりの記事。
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九州地方の「古賀」さん、といえば、有名中の有名な苗字である。
古くは、
古賀政男 さん
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7
いわずとしれた大作曲家である。この方、現在は大川市という名前になっているが、れっきとした旧三潴郡の出であり、あるいは、当ブログでは有名な
「古賀伊豆」
に関わりがあるかもしれないかも。なんてね!
近年では、柔道の
古賀 稔彦 さん
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E7%A8%94%E5%BD%A6
平成の三四郎と呼ばれた男、これまた言わずとしれた金メダリストである。
ん?んん?
出身が、”佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)”?!
バ、バリバリの少弐・龍造寺・鍋島エリアではないか!
などの有名人を多数輩出している古賀氏であるが、一般的には、
「劉姓渡来人末裔の古賀氏(三潴郡古賀村本拠)」
が幕臣として伝承を遺しているので、姓氏辞典などではこちらの系統を伝えているものが多い。
もちろん、私も、当初はそれを信じた。
しかーし!である。
上記古賀氏が、ゆえあって「龍造寺、鍋島に仕えて、現在に至る」というお話。そういう系統もあるかもしれないが、私はけっこう半信半疑になってきた。
ここで、あえて言おう!
まだ、ちょっと自分でも未整理なので、これを口にするのは時期尚早なのだが、
そもそも赤松氏流大塚氏なんて、いたのか?
とも思う今日この頃。あーあ、言っちゃった。
当ブログの初期からのファンの方は今頃「ちゅどーん!!!」とぶっ飛ばされている気がするが、平に、ひらにお許しいただきたい。
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どういうことか。
「寛政重修緒家譜」に記載のある各家の系図であるが、どうも現地から遠く離れた「江戸中心」に書かれている点や、「とりあえずお前の家の由緒をもってこい」と集めさせた点から見て、
あ・や・し・い
系譜が紛れ込んでいるように思うのだ。
鍋島氏ですらそうだ。同僚の幕臣から「今度、系譜調査があるらしいよ。ちなみにあんたの家の由来は?」みたいなことを聞かれて、
「え?あ、少弐!しょうにだよ(たぶん)。佐賀では一番の名家だし、そうそう、少弐しょうに!」
とその場しのぎで答えた、と記録にあるくらい怪しいのだ。
悪いが、当ブログにおいて綿密な調査をすればするほど「赤松系大塚氏」なんて出てこないのである。
(もちろん、赤松”家臣”の大塚氏は存在する)
幕臣古賀氏の系譜もそうだ。漢の高祖の末裔とか、ほんまか?と疑いたくなる。
つまり、こういうことである。現地サイドに立つと、姫路には赤松系大塚氏なんていないし、筑後には劉姓古賀氏なんてよくわからんのである。
だから、「寛政重修諸家譜」の記載は、あてにならん記述が含まれているということだ。
しかし、姓氏家系研究を全国規模でやろうとすると、とりあえずビールのように「寛政譜」はおさえとかないとダメなので、そのせいで
実はあやしい記載でも、それなりのポジション(信頼性があるような位置)におかれている
ことがあるような気がするのである。
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そこで、佐賀と福岡の地元民が、何を探してきたか、ということで、私がやってるのと同じようなことをしていた
古賀益城さん
という偉大な先輩が書いた資料を公開しよう。
近代デジタルライブラリより 「考証古賀家譜」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096892?tocOpened=1
この資料は、簡単に言えば
「う、うちらの『古賀』は、どう考えても少弐末裔じゃい!」
(少弐末裔の古賀がいるんだもん)
ということを調べまくった資料である。
私も、とりあえず上記「考証古賀家譜」を一定度合い支持したい。
(すべての古賀さんじゃないかもだけど、少弐系古賀さんは、確かにいるんだもん、ということ)
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ちなみに、われらが黒田官兵衛は、貝原益軒が勝手に系譜を捏造したので、近江だとかわけわからんとこの出身にされているが、
ガッツだぜ!の播磨黒田庄 (トータス松本氏の出身地)
こそが、真の黒田ルーツだと、私も思っている。それが地元調査の重みである。
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