ついこないだまでなーんにも思わなかったのだが、ふとひらめいた不思議なことを思いついたので書いておこうと思う。
当ブログの最初のほうで「柳川のまち」について触れたりしたこともあるが、
<4>水郷 柳川
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2013/12/blog-post_3812.html
当家(本家)は柳川にも近いので(当たり前だ三潴地方だもん)遊びに出かけたり、うなぎを食べにいったりすることは多いのである。
そして、私がほんの子どもの頃から、実家には常に置いてあり、また関西へもわざわざ送ってくれていたのが
「大松下のあめ」
という飴であった。
大松下飴本舗 (店主 古賀さん)
http://www.omatusita.com/
どんなのかというと、
こんなの。(画像は大松下飴本舗さんより転載です)
この飴は、もち米と麦芽だけで作っており、砂糖を入れて甘くしているわけではない。
(でも、めちゃくちゃ甘い)
麦芽から糖ができ、発酵させるとビールとなったり、糖から水あめができたりするのはご存知のとおり。
それがもち米と組み合わさって最高の飴ができあがる。
この飴、叩くと割れるくらい「硬い」のに、伸びたり曲がったりするくらい「やわらかい」という不思議な性質をもっている。
このナゾ加減は、実際に食べたものしかわからない(笑)
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さて、ここからが本題。この大松下のあめ、実家では「あめがた」と呼んでいる。
おそらく地元周辺の人は、みな「飴形(あめがた)」という名前でこの飴を認知していると思うのだが、この
「あめがた」
というキーワードで探ってゆくことにする。
なぜか?
それは、大松下の飴さん以外に、あめがたを製造販売しているところをピックアップすると不思議なことがわかってくるのである。
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「徳永飴 総本舗」
http://www.tokunagaame.com/
アマゾンでもYahoo!でも買えるという最も入手しやすい「あめがた」のお店。佐賀市金立町薬師丸。店主 江口さん。江戸後期創業。
「徳永飴本家」
http://www.its-mo.com/c/%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E9%A3%B4%E6%9C%AC%E5%AE%B6/DIDX_DKE,6119323/
上のお店と親戚筋にあたるらしい。おなじく佐賀市金立町徳永。店主 江口さん。江戸期創業。
「小笠原商店」
http://www.e-ame.com/info_meika.html
麦芽系の飴(水あめ)がメインのお店だが「あめがた」も製造。佐賀県鹿島市高津原。店主 藤田さん。文政5年(1822)創業。
「あめがた屋」
http://www.spa-u.net/shopping.html?id=22&cate=5
嬉野温泉にあるあめがた店。佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙。店主 中村さん。
ここまでが現存する飴形専門店。大松下のあめ以外、全部佐賀というのが面白い。
さて、ここからさらに面白くなってくるのである!
以下は、別の地域のあめがたにまつわる話を拾い上げてみた。
「筑後飴 磯家食品」
http://www.isoyashokuhin.com/
今はあめがたを作っていないが、昭和13年ごろあめがた製造。福岡県三潴郡大木町横溝。店主 磯野さん。
「赤坂飴本舗」
http://www.crossroadfukuoka.jp/jp/event/?mode=detail&isSpot=1&id=400000005997
明治15年創業。筑後市蔵数。まだあめがた販売中。
「八女市のあめがた祭」
http://www.city.yame.fukuoka.jp/kankou/yame/yanajima.html
こちらは、店舗ではなく「祭」の説明。”柳島の十七夜”というのが正式。
その昔、黒木城主の奥さんが観音像を抱いて矢部川に身を投げ、それを飴形売りが拾ってあめがたを備えて供養したという伝説があるのであめがた祭。福岡県八女市柳島。
「あめがたや」
http://www.its-mo.com/c/%E3%81%82%E3%82%81%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%84/DIDX_DKE,5577266/
長崎の魚屋さん。今もあるかどうか不明。屋号は「あめがたや」なので、もともと飴形を売っていたと思われる。長崎県北松浦郡小値賀町笛吹郷。
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ここまでリストアップしてくると、当ブログのファンの方は、なんとなくピンとくるに違いない。
そうなのだ。
まず、あめがた文化のスタートはおそらく佐賀であり、柳川などの筑後系あめがたはそれに続いて広がっていることがわかる。
そして、面白いことに、あめがたが北部九州に放射状に広がっているというよりも、
龍造寺くまもん支配エリア
に伝播しているという可能性が高いのだ!!!
位置関係を整理しよう。
長崎県小値賀町は離島なのでちょっとほっとくが、松浦あたりまで「あめがた」が存在していた証拠として仮置きしておく。
まず、西から嬉野・そして鹿島・佐賀と有明海を回るように東へ向かう。そして、大木町・柳川・八女市と有明海沿いに回ってゆく。(ただし、海岸線ではない。米と麦がとれないと飴はできないので穀倉地帯をめぐるルートだ)
これが、飴形ロードなのだ!
黒木城がらみの話は、もうちょっと検証しなくてはならない部分があるが、少なくとも黒木氏は
龍造寺家臣
である。柳川も当然蒲池エリアで龍造寺家臣、大木町横溝も、柳川城を建てた蒲池治久の弟の城「横溝城」があったところなのだ。
もちろん、戦国時代に飴形があるわけもなく、いわゆる飴文化は江戸期より栄えることになるので、少し時代錯誤がある。
しかし、佐賀と筑後の一部に文化的近縁性がみられることが、実に興味深い。
このあたりのナゾ、誰か論文にしてみませんか?(笑)
P.S. 個人的には、あめがたと朝鮮飴(長生飴)の関係についても気になる。
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