福岡・佐賀・長崎など、九州の北部から中部にかけて広がっているはずの「少弐氏の子孫」を明らかにする大特集!
もしかしたら、あなたの苗字があるかもしれません!
まずは、前半戦。少弐氏の歴史について振り返っておきましょう。
『少弐氏とは』
時は平安時代の末から鎌倉時代にかけて、武藤頼平という武将がおりました。
武藤とは「武蔵の国に拠点をもつ藤原氏」の意味で、藤原北家の出、藤原秀郷の子孫とも藤原道長の子孫とも言われています。
頼平は、平安時代末期「武者所」に就き、のち源頼朝に従い、鎌倉幕府御家人となります。
その頼平の養子となったのが武藤資頼、この武将ははじめ平氏方にいたものの、これまた源頼朝の御家人となります。
ちなみに頼平の本姓は「藤原」ですから、本名は「藤原頼平」となります。この藤原頼平のお兄ちゃんに「藤原能成」がおり、彼は近藤能成を名乗ります。
その息子「藤原能直」は、母方の領地、相模国足柄上郡大友郷を領してから大友能直を名乗ります。
血縁関係はないものの、家柄的にはいとこである「武藤資頼」と「大友能直」の二人は、このあと激動の九州史を率いてゆくことになるのです。
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時は建久年間(1190~)のこと。1192いいくにつくろう鎌倉幕府が始まってまもないこの時期に、資頼と能直の義理のいとこ同士の二人は、そろって九州行きを命じられます。
資頼は大宰府少弐職、能直は資頼と一緒に鎮西奉行に就任、また、それぞれ北部九州の守護職なども歴任するようになるのでした。
これをもって、藤原資頼かつ武藤資頼は「少弐氏」の祖、藤原能直かつ大友能直は「(豊後)大友氏」の祖となります。
少弐氏、大友氏ともこのあと激動の南北朝・戦国時代をフルスロットルで駆け抜けてゆくことになるですが、それはまた別のお話。
『少弐氏の子孫たち・庶家・支流・分家』
朝日
出雲
安永
窪〔久保〕
吉田
西
山井
志賀
加茂
城
堀
平井
肥後
横岳
馬場
早良
筑紫
島
大塚
倉町
関
平原
宗
など 古樹紀之房間さんより引用
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/fujiwarag.htm
『大友氏の子孫たち・庶家・支流・分家』
立花
戸次
田原
志賀
田北
託磨
臼杵
入田
吉弘
堤
木付
清田
など ウィキペディアより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E6%B0%8F
朝日
出雲
安永
窪〔久保〕
吉田
西
山井
志賀
加茂
城
堀
平井
肥後
横岳
馬場
早良
筑紫
島
大塚
倉町
関
平原
宗
など 古樹紀之房間さんより引用
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/fujiwarag.htm
『大友氏の子孫たち・庶家・支流・分家』
立花
戸次
田原
志賀
田北
託磨
臼杵
入田
吉弘
堤
木付
清田
など ウィキペディアより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E6%B0%8F
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