2014年8月3日日曜日

<87>謎はすべて解けた!じっちゃんのじっちゃんのじっちゃんの・・・名にかけて! 先祖は龍造寺を離反してなどいない!

 「謎は全て解けた!じっちゃんの名にかけて」”金田一少年の事件簿”の名セリフである。

  ドラマ版だと、堂本剛バージョンが好きだった。ともさかりえの「はじめちゅわん!」も。


というわけで、ずーっと気になっていたことの謎が、すっぱりくっきりかっつり判明したので、 今回はその推理をお届けする。


 話はもちろん、じっちゃんのじっちゃんのじっちゃんの・・・つまりはご先祖さまのことだ。

 当家三潴大塚家については、まだ解決していないいくつかの謎が残っていた。




① 当地には天正時代に肥前龍造寺の家臣がやたら住み着いており、当家大塚家はその子孫であると考えられること。しかし、なぜ?どうして当地にいるのか?


②当家の菩提寺であるX寺のR和尚は、蒲池鎮漣の霊を弔うために出家したことになっているが、寺の創建年と蒲池事件の年が逆転していてつじつまが合わないのはなぜか?

http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/06/blog-post_1978.html
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/06/blog-post_9.html




 しかし、これらの謎をとくヒントがわかったのである。

 いやいやいや、恥ずかしい限りだが、戦国時代の様相を勘違いしていた。もっともっと、タイムスリップしたつもりになって物事を捉えなくてはならないことを忘れていた。

 そうタイムスクープハンターのように!!!(byNHK)


 ヒントを下さったのは、いつものように


「九州戦国ブログ」の栞様
http://blogs.yahoo.co.jp/tokino_siori


である。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。


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 さて、詳しく説明しよう。まず、私が誤っていた大きなポイントは、龍造寺は肥前の武将であり、当家は筑後三潴にあることで


「当家の先祖たちは竜造寺から、何らかの意味で離反した」


と勝手にイメージしていたことである。ここが、すでに違う。


 もしかしたら、当家の先祖は離反なんか全くしておらず、バリバリの龍造寺派閥であった!かもしれないのだ。

 これは、肥前と筑後を別の地域として理解していた現代人の視点が招いた誤りである。


 そして、もう一点、


「X寺のR和尚の創建年と蒲池事件の年が入れ替わっていることの意味」


がわかったのだ。

 これは、「R和尚は蒲池氏の霊を弔うために出家した」のイメージを勝手に現代人の視点で捉えていた誤りである。


 そう、現代人の視点が、間違いの元なのだ。身も心も戦国人の気持ちになると、まったく別のことがわかってくるのである!


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 まずは、「三潴地域は、完全に龍造寺支配下にあった?!」ということを説明してみよう。

 以前紹介したが、”五ヶ国御領地之節配分帳”をもう一度みてみよう。

 この資料は天正8年ごろの龍造寺家の家臣リストなので、当然「神代長良」が載っていることは以前触れた。

ところが、この文書の巻末には

”肥後筑後筑前豊幕下侍”

として、佐賀以外の地域の家臣リストがついていたのである。

 その筆頭に挙げられているのが、誰あろう蒲池鎮漣なのであった。

 鎮漣殺人事件は天正9年のことなので、まだ彼はくまモンの部下として生きている。

 このリスト、以降のメンバーの苗字がなかなかすごい。

蒲池・黒木・三池・安武・西牟田・大木・秋月・戸次・立花といった、戦国HKT48(戦国北部九州48)の選抜メンバーが勢ぞろいなのである。


 そう、くまモン隆信からみて、「(家臣)合計三十四人 (領地)七万三千五百三十一町」


わしのモンじゃい!


ということだったのだっだっだ!


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 面白いことに、このあと、リストは寺の名前が列記されている。そしてその中には


『筑後大善寺・高良山・坂東寺・善道寺』


も、龍造寺の支配下にあることが記載されている。


大善寺は現在久留米市大善寺町にあるが、この寺は高良玉垂宮の三潴支店の神宮寺である。

ちょっとわかりにくい説明だが、次の高良山こそ、久留米市内にある「高良玉垂宮本店そのものなので、その本店と支店が押さえられているということだ。


 坂東寺は、筑後市にある。


 坂東寺史さんのサイト
 http://kurumenmon.com/chikugoshi/bandouji/bandouji.html


を見ると、この頃の坂東寺の様子がわかるが、蒲池・安武・西牟田氏あたりの影響下にあったことが読み取れる。つまり、くまモンのものだ(笑)


 善道寺は久留米市にある「浄土宗大本山」である。

 つまりだ。龍造寺氏は、三潴地方のあらかたのメイン寺社を「完全に支配下においていた」ということである。

 だから、このエリアに天正初期~中期にいる龍造寺氏直下の家臣は、けして離反したのではなく、


「現地駐留部隊」


だということなのである。


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 さて、もう一つの謎について考えよう。

 X寺のR和尚は、蒲池氏の菩提を弔うために出家した、という伝承がそもそもの話だった。

  しかし、X寺の創建年が天正5年で、蒲池事件が天正9年なので、つじつまが合わなかった。


 だが、これはけしておかしくないのだ!!!

  これは、現代人の我々(市町村誌などを書いた執筆者を含めて)が間違っているのである。


”出家する”


ということは、今では「世を儚んで、この世を捨てて僧侶になる」ということを意味する。


 ちっがーううう!!!!!


 戦国時代に出家する、寺と関わるということは、つまり「支配者が社寺を支配下に置くために、自身の子息や有力な部下を送り込む」ということなのだ。


 R和尚は、天皇の子孫とされている高貴な人物である。龍造寺家臣の天皇の子孫が、三潴地域にX寺を創建するということは、つまり、

「重要人物を送り込んで、そのエリアの宗教ネットワークも支配する」

ということに他ならない。

 だから、大善寺も玉垂宮も坂東寺も善道寺も支配下に置かねばならなかったわけだ。


 真実はいつもひとつ!(by江戸川コナン)


 つまり、こうだ。

 X寺はR和尚によって、天正5年に創建され、彼は龍造寺から送り込まれた重要人物だった。

 武将であったかどうかは不明だが、武官ではなく、貴族方としてその指示を受けていただろう。


 ところが、赴任して数年、天正9年に蒲池事件が起こった。


 当然、僧侶なので、蒲池の霊を弔うことになる。


 これで、時系列の話も、矛盾なく全て話が合う。起きた出来事は、創建と出家と蒲池の霊と弔う、という3点だけ。それをどういうストーリーでつなげるか、の際に誤りが起きている。

 蒲池の霊を弔うために出家した、のくだりがおかしいのである。

 そうじゃない。


 もしかしたら、もっと恐ろしい解釈もできる。R和尚が蒲池の霊を弔う理由は、ひとつしかない。

それは、


 主君である龍造寺隆信を恨んで祟らぬように、霊を封じ込める!


意味だったかもしれないのである!!!


 だとすれば、R和尚も離反はしていない。最後まで龍造寺氏の精鋭現地部隊だったかもしれない、というわけだ。









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