さて、これまで約70回の長きに渡って追跡してきた、わが三潴地域の大塚家のルーツであるが、そろそろ本気で
大団円
を迎えそうな気配がしている。
本来であれば、万歳三唱といきたいところではあるものの、残念ながら謎もいくつか残して終わることになりそうなので、ちょびっとだけ残念である。
しかし、ご先祖様探しにおわりというものはない。いくらなんでも、ピテカントロプス様にたどり着くまで遡るわけにも行かないし、アウストラロピテクス様とて同様である。
いやまて、たぶん私たちの先祖は、ジャワ原人かなんかで、間違いないはずなのだが。・・・・・・もういいって!
それはさておき、これまでに分かったことを、最終章としてこれからまとめに入ろうと考えている。
思えば、ご先祖様探しの後半戦は「ナイナイ尽くし」の連続であった。
どういうことかといえば、前半戦は「おそらくこうじゃないか」「こういう可能性もある」と多くの推理推論をとりあえず挙げ、それらをストックするのが主な活動になっていた。
そして、中盤は、そうした推論・推理にリンクさせる形で、資料を探しては付き合わせるという活動が主になるわけである。
そして、後半は、なかなか凹む毎日が続くのだが、「これも違ったか、ああ、こっちも矛盾するなあ。ああ、この資料にも載ってないなあ」と
全否定
の日々がやってくるのだ。
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自慢ではないが、「これは」と思われる資料は、ほぼ全て読んだ。読んだからこそ言えるのだが、
「うちの先祖は、恐らく江戸中期以降は、久留米藩政に関わったという明確な証拠がない」
ということになる。
藩の会議録、大庄屋や郡代の名前のリスト、浪人として地元に残っている者のリスト、藩内の旧家に関する由緒など、まあたいていの文書はチェックしたが
どこにも大塚の記載がない
というのもまたこれ事実なわけで。
たしかにそれらの文書は完全なものではなく、100%網羅されていないので、それぞれからうまく全部抜け落ちているという可能性もないではないのだが、そこはほれ。科学的で合理的な大塚某のことなので、
ズバッとまるっとごりっと
無いもんはないんじゃい!
と潔く観念するわけなのだ。
(※ちなみに、大庄屋じゃなくて、庄屋さんたちの名前はおおむね把握したのだが、こちらは苗字がないので、うちの先祖と合致するかどうか文書上だけではわからない。寺の過去帳関係を当たれていないので、それで未確認なだけかもしれないが。)
ところが、である。
江戸中期以降の情報がないのは良いのだが、江戸時代に入る直前ぐらいから江戸中期ぐらいまでの情報をまとめていくと、どうも
奇妙なことが起きている
のだ。
このいろんな不可思議な現象を説明するのには、ちょっと時間がかかったり、まわりくどかったりするかもしれない。
それほど、事態はちょっとミステリーなのである。
というわけで、第71章は、数回にわけてひとつずつ、それらの謎を解いていこうと思う。それらの謎が解けたとき、全てはひとつの事象を指し示す、というわけだ。
ああ、まるでなんか本当にダヴィンチコードみたいだが、みなさんもドキドキしながら、謎解きにぜひ参加してほしい。
(この章つづく)
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