2014年6月26日木曜日

<話題>自分のルーツ・出自を知る権利 ~AID(非配偶者間人工授精)で生まれた医師~

 自分のルーツを探る、という壮大なテーマでお送りしている当ブログですが、いろいろと考えさせられる記事があったのでご紹介しておきます。


  AIDで生まれた医師 「遺伝上の父 知りたい」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140626-00088268-kana-l14

(Yahoo!ニュース 神奈川新聞さんより)


 AIDというのは、非配偶者間人工授精のこと。つまり、お母さんのおなかから生まれてくることを考えいると、お父さんが誰かわからない状態での人工授精になります。

 この方の場合、自分が医学生だったことで、「両親と自分の血液について比較」する機会があり、父だと思っていた人が「実の父」ではなかったことに気づきます。

 それから、「DNA上の実の父」を探して、いろいろなところに当たりますが、まだ見つかってはいないそうです。


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 人工授精で生まれてくる子はたくさんおり、その「実の父」がわからないようになっていることが前提で運用されている今、このお医者さんは

「出自を知る権利」

「子供の視点」

をきちんと議論すべきだと提唱なさっています。

 より踏み込んで「出自を知る権利を法律で明文化すること」まで主張なさっていることは、現状とは真逆であるため、なかなか勇気のいることだと思います。


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 さて、当ブログを書いている中で、私個人も「出自を知る権利」「ルーツを知る権利」とはなんぞやと、いつも考えさせられています。

 さすがに、江戸時代以前のことを調べるには「DNA鑑定などない時代」のことなので、せいぜい「血縁上の先祖と家柄上の先祖」を意識することくらいしかできませんが、特に藩の系図などを見ていると、

「養子、実はどこどこの誰それ」

と明記されていることも多く、当時の人たちですら「実の血縁」「家柄の縁」は十分に意識していたことがうかがえます。


 先祖を知る、ということは、現代においては多くの場面で制限を受けます。個人情報を扱うことでもあり、お寺で過去帳を開示できなかったり、壬申戸籍が名目上廃棄されていたり、戸籍も直系尊属しか辿れなかったりします。

 個人的にはすべてにおいてオープンにするべきではないと思いますが、たしかに「出自を知る権利」のようなものを、もう少し意識してもいいのかな、と思います。


 逆説的で変な話ですが、学校で縄文時代から現代に至るまで「他人の歴史はいやというほど習わされるのに、自分の歴史は辿ることができない」というのもややナンセンスでもあります。


 2000年の日本史、世界史を習っても、自分の歴史が公的には100年そこらしか学ぶことができない、というのはちょっともやもやしますね。

 以上、雑感でした。


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