2014年11月12日水曜日

<95-3・特別編> 黒田官兵衛ちゃんと僕は先祖がおなじだった?!

 これまで2回に渡ってお話してきた黒田官兵衛の先祖にまつわるお話。どうやら黒田氏も赤松の末流であるらしいことがわかってきたところでいよいよ大団円である。


 ワタクシ大塚某、(そして全国数万人のみなさん)と黒田官兵衛ちゃんがなぜ先祖が同じ


だと言えるのかを証明する回がやってきたのだ。



 まず、ワタクシの母方の先祖が、野間赤松氏であることは先に述べた通りである。


 赤松氏の中で、野間山城を拠点としたのは在田氏であるが、在田氏は赤松則村(円心)の嫡子、範資の次男である朝範から始まっている。

 残念ながら私の曾祖母は在田姓ではなく、赤松にいつの時点か戻しているので流派がちょっとわからなくなっているが、とりあえず赤松則村(円心)まで遡ってかまわないだろう。


 ちなみに言っておくが、どこかで養子が入ってDNA的には途切れていることもあるので、そこはご承知おきのほど。


 この家系の話をするときは、「先祖」ということばはすなわち「DNAとしての先祖」であるかどうかは単純にはわからない。あくまでも「家系」・「家柄」の話であることは先に断っておく。



 ところで、荘厳寺本の黒田系図では、黒田氏のスタートを「赤松円光」とする。その子「重光」が多可郡黒田に拠点を持ち、黒田氏を名乗ったので「黒田姓」が始まるわけだ。


 さて、この赤松円光なる人物、実は赤松則村(円心)の弟であり、円光の子があの「別所氏」を起こすという説もあるくらいのキーパーソンである。


 なんてこった!


 黒田官兵衛とついでに、別所長治も先祖がいっしょだったなんて!(笑)



 というわけで、共通の祖先としては一代前まで遡れることになる。そのおおおおおおおおお・・(中略)・・おおじいちゃんは一体どんな人物だったのだろうか。



 赤松則村と円光の父は、赤松茂則という。赤松氏3代目で、佐用庄地頭・播磨守などを務めた。

 子の則村円心がめちゃんこ有名なので、そのおとんは「さらっと」なぞられる程度だが、まあ黒田官兵衛のおとんも「さらっと」なぞられているので、同じである。



 ちなみに茂則の生きていた年代がちょっと不明なのだが、子の円心はバッチリわかる。

1277~1350年なので、


 ウィキペディア 赤松則村 より
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E5%89%87%E6%9D%91


だいたい1250年ぐらいには、円心のおとんが生きていたと考えてよいだろう。つまり、764年前の段階で、官兵衛ちゃんと私が分かれたというわけだ(笑)




 まあ、こんな感じでおなじ先祖を力説するというよりも、想像と妄想を膨らませながら歴史を捉えると、グッと人生が豊かに感じられるというお遊び程度だが、みなさんも先祖に思いをはせて、ぜひ楽しんでいただきたいものである。


 ちゃんちゃん。



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おまけ <歴史マニアのための真面目なお話>


 荘厳寺本への真面目な反論、というのはいろいろありますが、わかりやすくまとめてあるものを紹介しておきます。


 古樹紀之房間 さんのサイトより
 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kuroda2.htm



 黒田家前史さんの論に対して、考えられる反証を挙げておられますので、どちらも読みながらみなさんなりの「歴史の隙間」を覗いて見るのも面白いかも!



 大塚某としては、荘厳寺本黒田家譜がすべてではなく、黒田氏はざっくりとした意味での播磨土着の一族だったのではないか、と考えます。血縁としての赤松氏への接点も仮冒である可能性もあるわけで、地場に根ざした「黒田氏」が独立したあっても、それはそれでいいのではないでしょうか?


 今回の特集では、ちょっと刺激的なタイトルとテーマを取り上げることで、みなさんに楽しんでもらうことにしたので、本気で黒田官兵衛と私が共通の先祖を有していると信じ込んでいるわけでもありません。


 もし、あの世が存在するなら、ご先祖さまを辿って確かめてみたいところですね!



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