2014年11月10日月曜日

<95-1・特別編> 黒田官兵衛と大塚某 戦国大血脈史を追え!

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速報!信長協奏曲に濱田岳ちゃんに続いて高橋一生も出るよ~!

スピンオフ官兵衛ちゃんとして楽しめます!


なななんと、さらに来週の信長協奏曲には、第六天魔王こと古田新太も登場!

新旧W「玉ころがしの捨之助」共演も楽しみ!
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 久しぶりの「だ・である調」で書く”三潴大塚氏の謎を解く”本編シリーズであるが、今回からの第95セクションは


 NHK大河ドラマ、軍師官兵衛ちゃんもうすぐ終わり記念特別編


でお届けしたい。


 

 先に断っておくが、私は稀代のイケメン、岡田くんとは何の血のつながりもない。しかし、あるいはしかし、はてさてしかし!軍師官兵衛ちゃんとは、


 そこはかとない


関係があるので、書きつけておこうという次第である。


 ああ、そんな恐れ多いことを言うつもりは毛頭ない。このわけのわからんブログを書いている大塚某が、


軍師官兵衛ちゃんと(遠い)親戚


だなんて、そんなものすごいことは口が裂けても全く言えない。



 というわけで、ほんのちょっとだけ、うっかり口をすべらした感じで書いてしまうのだが、


軍師官兵衛ちゃんと、ワタシの先祖が共通


であることだけは、どうやら確からしいのである。



 いやもう、この際だからはっきり言っておこう。これを読んでいるあなたもわたしも、お兄ちゃんもおねえちゃんもみんなひっくるめて


軍師官兵衛ちゃんと先祖が共通な人


は恐らく数万人単位で存在する。重要なのは、そのことを知っているかどうかである。その数万人のうち、大半はそのことを知らないだけである。



 重ねていっておくが、私は岡田君のようにイケメンではない。それだけはこれまた重ねて確かなので、お忘れなきよう。


 というわけで、大河ドラマチックご先祖探訪スペシャル「軍師官兵衛ちゃんと僕」のはじまりはじまり~。



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 大塚某の母親の苗字は、故あって内緒にしているが、「ピー」という。その母親の母親の苗字ももちろん、「ピー」なのだが、(つまり、私のおばあちゃんのことだ)、彼女は婿養子をとって家を継いだのと聞いている。

 その「ピー」家は、私の強烈な調査によって、天正11年まで遡る戦国家系であることは判明しており、過去帳の調査により、源姓であり、かつ江戸時代に某藩の藩士によって書かれた記録にもちゃんと残っていて、江戸期は「油屋」と「庄屋」を兼ねていたことまでわかっている。


 ちなみに「ピー」家の家紋は「五三桐」であり、これは戦国期に秀吉に付き従ったために賜った、うわさの


「誰にでも桐紋」


「誰とでも桐紋」


であるらしい。


☆注☆ 

 当時の秀吉は、気に入ったやつに誰にでも桐紋を与えたので、秀吉配下の諸氏はやたら桐紋を持っている。



 さて、そのおばあちゃんのお母さんは、「ピー」家に、山を越えて嫁に来た。もともとの苗字を「赤松さん」という。そう、あの「赤松さん」である。


 当時、結婚に当たっては戦国時代さながらの「政略結婚」や「家柄」なるものが重視され、「ピー」家は家柄がよろしかったらしく、同じく家柄のよい「赤松」家から嫁をもらうことになったという。

 赤松のお嬢様は、従者とともに「ピー」家にやってきて、うちのおかんの記憶によれば、


「(おかんからみて、)おばあちゃんは盆正月には、2台の人力車が仕立てられて、実家へキラキラの和服を着てお連れの者と帰っていくのが常だった」

らしい。


 それほどまでに赤松家は、家柄がよかった(らしい)のである。


 で、おかんの姉妹も、同じ系統の別の赤松さんのところへ嫁にいっており、現在も「赤松さん」なので、赤松家と「ピー」家は、相互交流が続いていたことになる。


 この話は、以前のブログでも

 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/02/blog-post_9.html


触れたことがあるので、ワタクシ大塚某が、赤松氏の末裔であることはみなさんも、もしかしたら覚えておられるかもしれない。


(当時は、大塚氏も赤松氏流だと考えていたのだが、結果的にそれは間違いだったことが、判明している。ブログ記事は、当時のままなので、大塚も赤松氏流だと捉えている)



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 というわけで、カンのいい方なら、


「そりゃ、大塚某と黒田官兵衛ちゃんが、先祖が同じであっても不思議ではない」


とすぐに合点がいくことであろうが、いよいよ、次回からその細かなところをお話してゆこうと思う。


まて次回!!








 

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