2014年4月2日水曜日

<調査中>家紋「抱き柏」、東京の大塚さん<WEB墓碑研究>

 そもそも、家系調査や姓氏調査というのは、『事件は現場で起きてるんだ!』ではないですが、

 おうちを巡ってなんぼ、お墓を巡ってなんぼ

なところがあります。

 そのため、いわゆる「苗字研究」「家系研究」「姓氏研究」をなさっている先人のすごいところは、実際に村々、家々を廻ってお調べになったという大変さではないでしょうか。


 それに比べると、私なんぞがやっているのは、「大塚」ただ一氏についてだけであり、なおかつ、ふだんはふつうの仕事をしているので、休みの期間にパソコンの前だけで、調査しているので、

 みたいなもん


です。あと二十年くらいして定年退職したら、たぶん現地を歩き始めます(笑)


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 しかし、ネットという便利なものがある以上、それを使って「コピペ」するのも現代の流行というものです。

 なんせ日本を代表する科学研究のリーダー的存在である「理・・・・」の論文ですらコピ・・・・・、


・・・・このネタは自粛します!!!!


 ★念のため申し添えておきますが、当方のブログでは学術的『引用』はしていますがコピペはしてません!ゴーストライターもいません!

 かならず出典の引用元を明示し、かつ該当箇所にリンクで飛べるように意図しております。

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 さて、そんな「ネット徘徊」による大塚研究の一部として、”ネットお墓参り”なるものを進めています。ネットお墓参りとは、グーグルさんのストリートビューを使ってお墓を探して家紋を読み取ったり、ネットの画像を使って家紋を探るという作業ですが、もちろん、全国の大塚さんたちに敬意と親しみを込めて頭を垂れているところです。


 そこで今回は、家紋「抱き柏」の大塚さんについて研究です。


 東京都江戸川区の歴史 さんのブログより
 http://tokyoedogawa.blog.shinobi.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D/


 東京都江戸川区に「大塚家」なる一族がおられるのですが、関連していくつか史跡があります。
 
 ひとつは江戸川区の登録有形文化財になっている「木造大塚氏先祖夫妻坐像」というもので、もうひとつは地場の梨栽培に尽力した「大塚宗蔵」(文政7年没)さんのお墓です。こちらも江戸川区の登録史跡になっています。

 さて、この大塚家のお墓を上記リンクの画像から解析すると、家紋「抱き柏」であることが読み取れます。

 大塚宗蔵が何者かについては


 JLogos辞書検索 
 http://premium.jlogos.com/new2_result2.html?keyword=%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%AE%97%E8%94%B5%E3%81%AE%E5%A2%93&id=5700497


 によれば、「地元の名士で、享和年間に梨の栽培を開始した」とあります。”地元の名士”だけでは家系がわかりませんが、もう少し詳しい資料が、


 ジェイ・クオリス さんのサイト
 http://www.top-est.com/pages/simoimaimura


にありました。これによればこの地の梨は、幕府に献上されたり、かなり有名になったようですね。


 もっとも詳しい説明は

 江戸川区の地名の由来 さんのサイト
 http://www.geocities.jp/pccwm336/sub5.html


にあります。ここには興味深い説明があります。記事によると、大塚宗蔵は「大和の国から流れてきた武士の子」だそうです。


 ちなみに、毎度おなじみ『完全網羅 大塚姓・大塚氏・大塚さんのすべて! 全大塚氏族超まとめスペシャル』によれば、柏紋の大塚氏は、


<Q>吉岡氏(大塚) 藤原氏流 岡氏の子孫。寛政譜22 〔家紋〕柏 六角に三つ柏


となっています。


 実はこれ、かなり「キターッ」な展開でございまして(笑)、今から論証してゆきますね!


 岡氏というのは、


 ウィキペディアより 二上山城
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%8A%E5%B1%B1%E5%9F%8E_(%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%9B%BD)


 を読めばわかるとおり、 大和国と河内国の境あたりに存在した「岡城」が拠点です。位置関係でいえば、岡城・二上山城・万歳山城が隣接しているということです。


 そして、毎度おなじみ播磨屋さんのサイトによれば


 播磨屋さんより 武家家伝 万歳氏
 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/banzai_k.html


 大和国(奈良)というのは、基本的にお寺の荘園がスタートで、興福寺の荘園管理官としての「岡氏」がおり、万歳氏とともに、興福寺門下の中で南北朝以降の激動に巻き込まれてゆく、ということになるわけです。

 
 こんな感じで、「点と線」が結びついてゆきます。奈良からきた大塚氏とは、つまり!

 結論は、


 江戸川区の大塚さんは、元「岡氏」であり、大和国興福寺の荘官がスタート、その子孫が奈良を離れて江戸に入ったと考えられる。ルーツは藤原氏。家紋は「柏紋」で決まり。


という感じでしょうか。


 というわけで、東京の大塚さん!ぜひ家紋を教えてくださいね!










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