2014年4月17日木曜日

<調査中><52>大分県の大塚さん

 九州地方に「大塚姓」が多い、それも特に九州の北半分(熊本から上)にたくさん見られることは周知の事実なのだが、それらの大塚姓の由来について言及されているデータが少ないのは奇妙なことだと思う。

 もちろん、私も限られた書物しかまだ見ていないので、どこかに隠れているだろうと思うのだが、それにしても分布の広さ、多さから考えても不思議なことである。


 九州の大塚姓のうち、ある程度由来がわかっているものに「日向国土持氏系列」の大塚氏がある。


 ウィキペディア 土持氏より
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%8C%81%E6%B0%8F


 この大塚氏は、系統を把握しやすい大塚さんだと思うが、それ以外の九州大塚氏は、ほとんどが漠然としていてルーツがはっきりしない。(なので困っているのだけれど)


 知ったような口をきけば「そりゃ、大塚は各地にそれぞれ別々に発生しているから、いろんな大塚さんがいるんじゃないの」で、済むんだけれど、本当にそれでいいのか?と個人的には思っている。


 いや、きっと何がしかの痕跡があるに違いない。


 福岡藩にも、久留米藩にも、柳川藩にも、熊本藩にも大塚氏は存在する、そしてポイントは

「それらの大塚氏は、もともと九州発生の大塚氏なのか、それともどこかから移って来た大塚氏なのか」

というところであり、それが当ブログの統一テーマであったりもするわけだ。


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 前置きが長くなったが、今日のテーマは「大分県」である。なので、<調査中><52>の併用区間でお届けしたい。


 現代の大塚姓分布を見ると、福岡県・熊本県・そして大分県にまとまった分布があることが「図面上」ではわかる。

 そして、これまでの当ブログの調査においても、「なんとなく大分県」なんとなくクリスタルではない)に絡みがありそうな話が既出している。


 たとえば、播磨の大塚将監の子孫が大分にいるらしいという伝承が、松本さんの「播州後藤氏の栄光」に出てくるし、久留米藩の略系譜のうち1氏は「天領日田代官に使えていた大塚氏」であり、もう1氏は「財津姓から始まる大塚氏」で、いずれも大分日田地方にゆかりがある。


 日田藩が天領になるあたりの概説は、すでにどこかでお話したと思うので割愛するが、「佐伯藩」の家臣に大塚姓を見つけたので報告をしたい。



 ウィキペディアより 佐伯藩
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E8%97%A9


  戦国期以降の佐伯藩主「毛利氏」は毛利姓ではあるが、毛利元就で有名な中国地方の毛利氏では血縁ではなく、もともとは「森」姓である。


 この森氏、織田信長に仕えて明石に領地をもらっていたが、ただいま「軍師官兵衛」でやっているところの「毛利勢VS信長勢」と話が繋がってくる。

 毛利対信長の戦いは、三木城陥落の跡直接対決になるのか、と思いきや、信長が本能寺で殺害されることにより、最終的には「和解交渉」で終わることになるのはご存知の通り。

 その中で秀吉は、「中国大返し」なる一気に織田方へ引き返す行動を取るが、毛利との交渉で「人質」として渡されたのがこの「森高政」なのである。



 ウィキペディアより 毛利高政
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E9%AB%98%E6%94%BF


 
 ところが、大塚氏がいつの時点からの家臣なのかは全くもって不明なのだ。また例のごとく秀吉の中国攻めのあたりの話が出てきたので、播磨系大塚氏の可能性もなきにしもあらずではあるが、まあそこはあまりにひどい推論なので、自分でも信じてはいない。


 毛利高政の家臣に”財津三郎右衛門”の名が見えるので「ははあ、これは日田系の家臣だな」と想像できるくらいであるが、それ以上のものではない。


 あとはせめて、大分地方の大塚さんから話を聞いてもう少し情報を集めたいところである。


 というわけで、大分の大塚さん!家紋を教えてください!




1 件のコメント:

  1. 佐伯市の大塚です。家紋は梅鉢です。祖父か曾祖父の代に大分市の稙田?の辺りから移ってきたと聞きました。

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