2014年4月19日土曜日

<52>名家「大塚家」は真実か?! ~福岡をめぐる新資料~

 先日も書いたところだが、特に九州北部における大塚氏のルーツについて、詳しく記載されている書物が少ないため、分布こそ多いものの、その出自については不明な点が多い。


 その中で福岡県の大塚氏について「そこはかとなくあっさりとした、しかしある意味濃い」資料を見つけたので紹介したい。

 
 この資料は、残念ながら我らが「三潴地方」のものではない。しかし、隣接区域であるため、調査対象としては十分に考慮したいところである。そう、この資料では「三池郡」が関わってくる。

 そもそも、明治4年に久留米県・三池県・柳川県が合併して「三潴県」ができたことからもわかるように、三潴地域と三池地域は密接に結びついている。

 現代の区分で言えば「大牟田市」と「みやま市」が相当するが、大牟田市こそ隣接は熊本県であるものの、みやま市地域は「八女市」や「柳川市」と隣接するなど三潴地域のほんとうのお隣さんである。


 ちなみに、江戸時代は「三池藩」が存在し、藩主は柳川藩と同族の「立花氏」である。


 ウィキペディアより 三池藩


 
 さて、いよいよ今回初登場の「三池大塚氏」の資料である。


 東洋成功軌範 (近代デジタルライブラリより)



   この本は、明治44年に中央教育社から出版された、なんというかまあ「えらい(笑)ひと」の本である。

 なんというか、我らが帝国日本において当代の偉い人の伝記についてまとめたというか、ざっくりといえば「ジョブズさんと孫さんと本田さんと井深さんと、それからそれから・・・」みたいな本だと思う。たぶん。きっと。


 そのため、考古学的資料としての価値はほとんどない(さらに笑)


 なので、「そこはかとなくあっさりとした」資料だと言わざるを得ないのだが、中身がこれまた苦笑してしまうほど「濃い」のである。


 その濃さは「どうや!この人たちはこんなに偉いんや!すごいやろ!」的なオーラに包まれているからで、その褒め具合たるや、「21世紀の日本のビジネスマン100選」を22世紀に読まされる的名面白さだといわざるを得ない。


 まあ、前置きはこれくらいにして、いよいよ読んでみよう。


 見よ!三池大塚氏の凄さを!感じてくれ!


 このスゴイ感じを味わってもらうために、今回全文意訳に挑戦している。(個人名一部伏字)

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 「医師 大塚K齋君」 

 二百年余り前からの名門の家であり、社会から篤く崇敬され、この人のすること、なすこと皆が慕う様子なのです。

 家祖である大塚源八郎さんは、万治元年に三池町に移り住み、莫大な財産を持っていて名声もあり、二代目の自悦さんは小さい時から医術が大好きで、一心に研究して同町に開業しました。

 それからの年月、大塚家は「医術」の家として歴代を重ね、実に8代続いています。

 K齋さんは、先代のK節さんの子として弘化2年に生まれ、明治4年に家督相続して医院を引き継がれました。明治17年には医師免許を取りヨーロッパから取り入れた「秘法」と長年の実績研究から独自の「神がかり的超医術」によって治療の手腕を発揮しています。

 遠くから噂を聞いて治療に訪れる人たちがごった返しており、足の踏み場もないほどです。

 流石は歴史ある医術の名家ですね!


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 ・・・・・・とにかくスゴイことがお分かりいただけたことと思う。

 大塚氏は名門であり、めっちゃお金持ちで医術は秘法で「神」レベル認定だそうである。


 さすがに恥ずかしいので、もう少し抑え目に書いてほしいものだが、まあ明治大正時代の記述はこんなもんである。ちょっとした医薬品のCMですら、「万病に効く」的な効能をかなり誇大に書くのが当たり前の時代なので、個人の業績を派手に書くことぐらいどうってことはない。


 しかし、「全く一切がっさい具体的証拠がない」上の記述であるが、


①大塚家を名家と捉えているらしい。そういう認識であることは事実。

②三池地方の医家として「大塚家」が一定の認識をされていることも事実。


だと思われる。ああ、できることならそのルーツについても言及して欲しかった!!




 ところで「大塚敬節」さんというこれはマジで素晴らしい医学界の有名人がおられるのだが、


 ウィキペディアより 大塚敬節


  こちらの大塚さんは高知であり、年代も合致しないことから関係ないと思われるのであるが、果たして調査中である。



  



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