2014年4月7日月曜日

<49>いよいよ面白くなってきた”軍師官兵衛”と大塚氏

 世間的には評価が今ひとつらしいNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」であるが、基本的に「週刊ドラマで見る先祖探し」だと思っている私にとっては、日曜日が一応待ち遠しい(笑)

 そんな官兵衛くんであるが、いよいよ昨日は播磨地域の混乱が具体化する直前の様相となってきた。昨日のドラマでは上月城の戦いにスポットが当たっていたが、このあたりは


 広島地方の覇者「毛利氏」
 


 間に挟まれた ①島根地方から復活したい「尼子氏」
          
          ②岡山で様子伺いの「宇喜田氏」

          ③播磨でどうしたらいいか血迷い中の「赤松系別所氏たち」



 東から攻めてきた「信長勢(つまり秀吉や官兵衛ちゃん)」


という情勢なので、とにかく「正義と悪」「敵と味方」が常にはっきりせず、とってもややこしいのである。

 上月城の戦いでは、「尼子氏」が


はい!消えた!


になるわけで、このあと官兵衛最大のスペクタクルを誇る「三木攻め=別所抹殺事件」へと物語は突き進んでゆくことになる。


 そこに赤松系大塚氏がどう絡んでゆくのかは、「軍師官兵衛」ではまったく描かれる予定がなため、みなさんのために当ブログでそこらへんを補っておくことにしよう。


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 播磨における赤松系大塚氏のうち、後藤又兵衛のお兄ちゃんの血筋である「大塚将監」たちは、基本的に官兵衛と行動を共にしている。というわけで、官兵衛軍のエキストラとして、大河ドラマのどこか端っこのほうに「映っているであろう」ことだけは確かである。



 問題は、赤松系大塚氏のうち書写山ふもと岩崎構に居る「大塚重太夫の子孫」たちである。

さて、そもそもこの地区の大塚氏は、これまで論じてきたように


①赤松氏の家臣、本庄氏(本城氏)とケンカしてたりする。

②当地の大塚氏のうち、本願寺と関係を持っている者がいる。


など、赤松系に取り込まれてはいるものの、不思議な動きをしていることがわかる。


 それもそのはず、姫路大塚氏に詳しい方からの情報では、この大塚氏は


『出雲国能義郡大塚村(現安来市大塚町)から戦国大名尼子氏に仕え、のち赤松氏に属した』


のである。そうなのだ!もともと「赤松に仕えたのも、ちょっとワケあり」だし、「赤松が織田方に取り込まれていった」のも「ちょっと嫌」な感じで、心から赤松系になっているわけではない

腹に一物あるタイプ

の大塚氏なのであった。

 そのため、(ここから先は推測だが)赤松氏が基本的に織田方についた後も、織田と敵対する本願寺に協力する者が現れたり、なかなか面白い動きをしているのである。


 あるいは上月城等における「尼子氏」の動きによって、「自分たちはどのように動くべきか悩んでいた」可能性がある大塚氏だと考えられる。

 あるいはそれ以前に、岩崎構の地域が「龍野赤松氏」の領域に近いことを考えると、この大塚氏は「官兵衛と敵対していた」可能性もあるということになる。


 ★物語序盤に、龍野赤松氏があんなことやこんなことをして、官兵衛の(ドラマでは)初恋の人(実は妹)があんなことやこんなことになったくだりを思い出してほしい★


「おたつーっ!」

 のどこかに映っていた可能性もあったり、なかったり。


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 となると、である。おなじ赤松氏流大塚氏であっても、のちに「官兵衛ちゃんについて福岡にいったかもしれない大塚氏」は、どちらかというと「岩崎構大塚氏」ではない気がしてくる。

 また、同じように、三木合戦を経て「有馬(赤松)氏について久留米にいったかもしれない大塚氏」もまた、どちらかというと「岩崎構大塚氏」ではない気がしてくるのである。



★官兵衛ちゃんも有馬くんも、基本的に「秀吉にぴったり」くっついている純織田方である。そういう意味では、岩崎構大塚氏より、大塚将監系大塚氏のほうが、織田方率が高いと考えるのである。


 もちろん、これらは憶測で、どちらに進むのが正しいか誰も予測がつかない戦国の世にあって、基準はすべて

「生き残る」

ことであるわけで、各大塚氏はそれまでの経緯や歴史はともかく、「その時最善と思われる策」を取って取捨選択しているので、真実は今のところわからない。


なので、これからも真実を求めてがんばります!!













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