これまで2回当ブログにて取り上げている「左三つ巴」の大塚さんについて、新しい情報を頂きましたので、追加部分をまとめてゆきたいと思います。
まずは、これまでのおさらい。
【1回目】 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/01/blog-post_21.html
【2回目】 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/03/blog-post_4587.html
特に2回目のほうで、現在茨城在住の大塚氏と郡上八幡井上氏の関わりについてざっと考察したのですが、さらに詳しい情報をいただきましたのでご紹介しておきます。
郡上八幡藩の藩主だった井上正任は「茨城県笠間城主」から「岐阜県郡上八幡城主」へやってきて、「京都府亀山城主」に出てゆきます。
そのため、茨城県と岐阜県の移動の状況でこんがらがっていたのですが、大塚さんからの情報ですっきり解決!しました。
新情報は、井上正任の息子のお話。
ウィキペディアより 井上正長(正任の3男)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AD%A3%E9%95%B7
つまり、こういうことです。井上氏は「茨城県笠間城主」から「岐阜県郡上八幡城主」へやってきて、お父さんは亀岡に異動になったが、息子はその後の経緯で「茨城県下妻藩主」になった、ということになります。
この流れがわかったことで、織田家臣の大塚氏が茨城へ移るという説が矛盾なく成立することになりますね。
ちなみに織田氏に仕えていた大塚氏については、現在鋭意調査中です。これもまた別立てで紹介しようと思っていますが、今しばらくお待ちくださいませ。
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