2014年4月23日水曜日

<おまけ>先祖探しとは 大塚某の気持ち

 調査結果についていろいろと書きたいこともあるのですが、今回はちょっと小休止をして


「先祖探し」「ルーツ探し」とは何か、ということを私なりに考えてまとめておきたいと思います。


 自分の先祖を探るということには、いろんな意味でマイナスの要素を感じる人たちがいます。

 たとえば、


 ■ 江戸時代の身分制度のことをどうしても避けては通れないので、差別に関わることになる。


 とか、


 ■ 自分の先祖のことで負の側面を知ってしまうのではないか、と恐れる。(妾の子だったとか、何かやらかしていたことを見つけたとか)


 とか、知ることによって「掘り返さなくてもいいものを」見つけてしまうことを恐れる人たちがいるのも事実でしょう。


 逆に、これまた同じ意味で


 ■ うちはその昔家老の家系だった。うちは大庄屋だった。


など、かつての身分制度のことを少し自慢に思う、というヒトの嫌な側面もあることでしょう。


 あるいは、


 ■ 自分の家系に戦国武将や有名人がいるのではないか?


という期待を持つ、などちょっと「やらしい」気持ちが生まれてくることもあると思います。




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 しかし、こうした気持ちや考え方は、「先祖探しとまともに向き合っていない」間のほうが、誤った気持ちになりやすいものである、とも言えます。



 先祖探しが進むに連れて、そうした表面的なプラスやマイナスの感情は、いっそう削ぎ落とされて真摯なものへと変化してゆきます。



 真面目に日本の歴史をたどっていけば、江戸時代の一時期に「士農工商それ以外」の身分制度があったことは事実ですが、それより前には、身分が未分化の時代もしっかりあるわけで、

 「武士だったが帰農した」人もいれば、「農民だったが武家になった」人もいるし、「商人だったが武士格を金で買った」ものもいるし、「先祖は武士だったが、子孫は農民になった」人だってたくさんいるわけで、


身分というのは長い家系の歴史の一瞬を切り取った時のいち側面に過ぎない


ことがわかってきます。


 そうすると、明治のある時期に一瞬だけついたラベルである「わしは士族の末裔だもんね」ということで自慢するに値しないし、逆に封建社会のどんな身分であっても、一切恥じることはないということもわかってくるはずです。


 たとえば、今回、このブログでも途中に出てきますが、「秦氏」という士族は大陸からの渡来人の子孫であることがわかっています。

 彼らは当時の日本人に最新の文化を伝えた尊敬すべき外国人ですが、その同じ国々から最近来た人たちを嫌う風潮がこの国にあるのも事実で、私はとても悲しいことだと思います。



 たとえば、日本の近代において「皮革製品」を扱った人たちは差別されてきた歴史がありますが、そうした人たちは戦国期においては「武具・馬具」を製造する重要な軍需職人であるため、同時に武将たちから違う意味で保護されてきた対象でもありました。


 ある特定の時期の身分は、ほんとうに歴史の流れの渦の中の一瞬の姿であり、「差別するものも、差別されるものも」時代背景や宗教的背景や、社会情勢の中で


 翻弄されてきたわが先祖たち、日本のかつての人たちの必死のパッチの生き様


を表していると思えるわけです。


 封建社会の問題点は、そうした一瞬の身分をかなり長い間固定化してしまったことで、それ以前もそれ以後も、身分はかなり流動的でした。


 大正時代の資料などを見ていると、今度は新体制になって「突然金持ちになった人たち」が「どや、わしらはすごいやろう」とか「誰それは一代でここまでなったんじゃ」というギラギラした文章にたくさん出会います。


 それはそれで読んでいるとちょっと「引く」気持ちになるのですが(笑)、「ああ、これは封建社会から解放されたエネルギーなんだな」とも感じます。なにせ、それまで「武士ではない」身分だった人たちが、「経済的に勝ち組」になってゆくプロセスなのですから。

 
 このあたりは、現代の「正社員と非正社員問題」なんかにも通じるので、人間とはかくもしょーもない存在かと頭を痛めるところです。


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 まあ、そうしたいろいろな問題や事情を含んだ「先祖探し」でもありますが、私なりのテーマはひとつです。


 私はどこから来たのか、そしてどこへゆくのか


という人類の根源的哲学そのものでもあるのです。

 
 タイトルこそ「武家 大塚氏のルーツうんぬん」となっていますが、これはちょっとキャッチーなタイトルにしてしまっただけで(苦笑)、特に戦国武士は日本各地を転々とさせられているため、


 マジでうちはどこからやってきたの?


という単純な問いに帰着することができるのです。(その点、先祖代々の農家であれば、その土地に根ざしているからです)


 そもそもは、「寛政譜の抱き茗荷大塚氏が赤松流」という記載に端を発し、「ほんまにうちは姫路発なのか?あるいはその前は?」という素朴な疑問を解決するために始めたこのブログですが、えらいことにかなり大風呂敷になってきてしまっております(^^;


 そして、加えるなら全国の「大塚」さんのご先祖さまたちが、どんな思いで過ごし、どんな気持ちで「大塚」を名乗ったのかも知りたいと思っています。


 家紋についても同じです。どういう意図や由来があって、そうなっているのか。これはひとえに、先祖とその歴史について語り合いたいという気持ちそのものに他なりません。


 人類の歴史は霊長類を含めて1億年ともいわれます。


 どんな殺し合いや、どんな飢餓や、どんな災害があったかわかりませんが、とにかく


あなたもわたしも1億年の命のリレーでここに今生きていて、


これを書いたり読んだりしています。

 全ての人に平等に、1億年前からの先祖がいます。そしてそれは全て同じ「人類」であることは、間違いありません。


(ごめん、うちの先祖人類じゃないねん、というヒトがいたら、ぜひご連絡ください)


 ちょっと残念なことに「大塚」という姓は、DNAの血脈とは多少ずれてしまっていますが(家制度においてはほとんど全ての家に養子が入っているため)、それはさておいても


 生みの親と育ての親ではないですが、血の先祖と家の先祖のおかげで今がある


わけです。


 この1億年の命のリレーに参加する方法はたったひとつです。


 今晩、ベッドで頑張ってください!はあと。




 (せっかくいい話をしてたのに、オチはそれかい!)



★いやマジで、結局人類に与えられた使命は、子孫繁栄、五穀豊穣だけなんだなあ、と再実感する毎日です)



 

 




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