いつも、全国各地の大塚さんからいろいろ貴重な情報を頂くのですが、今回は長野県に関係する大塚さんから連絡を頂きました。
なんでも、「島津氏」の家臣だった大塚氏が、帰農して長野に定着している、ということがわかってきました。
さあ、島津ですよ島津!
島津といえば、誰もが真っ先に思いつくのは鹿児島薩摩藩の島津家ですね。
なんと言っても、幕末では大活躍の島津であり、琉球王国を支配した島津であり、家康ちゃんが最後まで倒すに至らなかった島津であります。
島津&毛利といえば、戦国時代の恨みを幕末に晴らす的な因縁の一族でありますから、誰もが知っているところ。
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ところが、その島津氏が長野県にいた、となると庶民は
「・・・へ?」
となるのが普通です。ここでニヤリと笑うのは歴史マニアだけなので(苦笑)
というわけで、まずは「島津氏」の歴史について、おさらいしてみましょう。
時は平安時代から鎌倉時代にかけてのこと、源頼朝の部下である御家人のひとりに
「島津忠久」
というおにいちゃんがおりました。(正式には惟宗忠久)
彼のお母さんは、源頼朝の乳母だったようで、その縁で頼朝に近しいところで活躍するのですが、結果
「日向国の地頭」
「信濃国の地頭」
などに任命され、最終的には「大隈国・薩摩国・日向国守護」として南九州を一手にゲットすることになるわけです。
そのため、それぞれの地域に、系列の島津氏がおり、長野の島津氏は信濃島津氏としてこれまた広がってゆくのでありました。
その信濃島津氏の家臣として大塚氏がいたことが判明したのですが、信濃を拠点とする国人としては
滋野氏流海野姓大塚氏
(一覧でいうところの
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8828.html
Q/D/Eの系統)
が該当するのではなかろうか、と考えています。
実は長野には、いくつか大塚氏の痕跡がありますので、このあたりはじっくりと調べたいところ。
また新しいデータが出れば報告しようと思います!
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ざっと信濃の大塚姓を概観すると、
佐久地域の歴史さんのサイトより
http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/sakugun.html
まずは現在の佐久市に大塚氏が水野氏の名主・代官に当てられたことがわかります。
国文学研究資料館のサイトより
http://base1.nijl.ac.jp/~eadfa/db/internal/ocl-JALIT-DHD/changeview.cgi?xmlfdir=ac1958002&xmlfname=33B_ead-src.xml&xslfname=EADFAentire.xsl
それから、小県郡の高橋家に伝わる文書郡の中に、幕末から明治にかけて「名主→戸長」となった大塚氏の書類が残っています。
大塚神社のルーツをさぐるさんのサイトより
http://nakamachi.nows.jp/hp/konjyaku/ootuka/ootuka2.htm
いっぽうこちらは、地名や神社名として残る「大塚」について。氏族の名称と関連があるかどうかは、まだ調査中です。
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