今回は小ネタ。
兵庫県の真ん中あたり、丹波篠山(デカンショ節で有名)に大塚氏を発見。
図説 尼崎の歴史 さんのサイトより
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/03kinsei/kinsei3-2.html
尼崎藩の片岡家というところの資料ですが、なんと「丹波篠山藩の大塚氏」から養子をもらったり、また養子に出したりしているらしい。
しかし、これが文政時代というから、江戸も後期で、最近に近い話。
文政時代の篠山藩は青山氏が治めていましたが、
ウィキペディアより 篠山藩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%B1%B1%E8%97%A9
青山氏は丹波亀山(現在の亀岡)から入封しています。
実は、この青山氏の分家が一時期尼崎藩主であり、この辺のからみで「篠山藩と尼崎藩」にネットワークがあったのかもしれません。
しかし、当方のリサーチでは、「丹波地方に大塚氏として目だったものはいない」ので、この篠山藩の大塚氏はどこかからか縁あって流入したものだと考えられます。
藩主の青山氏の経歴は、もともとは上野国吾妻が本拠であり、三河に土着して松平氏に従い、歴代あっちこっちをうろうろして篠山に落ち着いています。
なので、この大塚氏を判別するのは、系図でも残っていないかぎりほぼ不可能かもしれませんね。
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