2014年5月7日水曜日

<ご報告・60>実家へ帰ってきました。~祖父と曽祖父の痕跡を探して~

 GW中、ぜんぜん更新できませんでしたが、多数のご閲覧をいただき、ありがとうございました。

 休みを利用して、九州へ帰ってきました。メインは親戚廻りだったのですが、できるだけ「大塚一族」についての調査も実施してきたので、そちらの成果は、またぼちぼち当ブログにてアップしてゆこうと思っています。


 私の場合は、ルーツのある九州ではなく、常に遠く離れた兵庫から調べものをしているのですが、やはり現地に行くと、また違った着眼点で物事を見ることができたり、地元ならではの資料があったり、となかなか有意義な休日となりました。

 
 実家のあるムラ(地域)では、


① 自宅の墓についての調査

② 親戚からの言い伝えなどの確認

③ 実家周辺の現地調査

④ 図書館での現地資料調査


の4点を、不十分ながら「軽~く、ざくざくっと」実施してきました。



<墓の調査>

 「大塚家之碑」とある骨壷収納型の大型墓碑の周囲に5基の小さな墓石があり、2つはおそらく女性のもの、2つがおそらく男性、もうひとつは天然石のみの小さなものが配置されていました。

 拓本まではとれていませんが、写真撮影と読み取れる文字だけは写してきました。

 江戸期の年号が入ったものがひとつあり、その時期に当家がその場所にいたことまでは、まあ確認できるというわけです。




<言い伝え>

 おじ・おばと話してきましたが、うちの父親がやはり祖父からいちばん詳しいことを聞かされていたようで、概ね父から聞いている内容と合致&それ以上のものはあまり出ませんでした。

 ただ、曽祖父が地域でちょっとした有名人もしくは、顔が広かったらしく、おばも「昔、地域の人に曽祖父の名前を出したら『ああ、あそこんとこの!』と言われたことがある、と父とおなじ話をしていました。

 そして、おじのほうも、「うちの先祖は相撲を呼ぶのにハマって財産を無くした」という話は聞いていたらしく、その旨話題に上りました。



<地域調査>

 
 地域の神社に、①寄付者の名簿(石に刻まれたもの)があり、その名簿の文字を書いたのが祖父だということで、確認してきました。

 それ以外に神社本殿の台座に、同様の②寄進者名簿が刻まれており、そちらでは曽祖父の名前も確認してきました。

 また、地域の納骨堂の③名簿、公民館横の石灯籠に刻まれた④名簿も確認できました。


 写真と、書き写しをしてきたので、

①昭和時代 ②大正時代  ③昭和30年代  ④大正時代の4年代に当地域に住んでいた「大塚一族」がそれぞれ二十数名ずつの名前を拾うことができました。

 これらの誰かが別の資料にひっかかってくれれば、「当地の大塚一族のおおむねのルーツ」に辿りつくことも可能かと思います。



<図書館>

 久留米市立図書館にて、いくつかの資料を見てきました。時間がなかったので全ての資料の全てのページを見たわけではありませんが、私がこれまでに見ていない久留米藩の分限帳もありました。

 藩士系譜については、以前に入手したもの以上のものは、ざっと見た感じではなかったように思いますが、こちらの資料は逃げませんので(笑)、また機会があれば一日中図書館に篭もることも可能かと思います。



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 さすがに、「これだ!」という資料は見つかりませんでしたが、ムラ・集落における大塚一族の痕跡や立ち位置を概観することができ、また祖父と曽祖父の痕跡を辿ることができたので、たいへん楽しかったです。

 まだ他に細かいことがいろいろあるので、それはブログの記事に絡めて紹介してゆきます。

 
 引き続き、これからの展開もお楽しみに!

(飴形を食べながら執筆しました)
 

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