以前から手をつけていたのですが、ブログにはなかなかアップできていなかったネタで今回はお届けしようと思います。
タイトルどおり!あの「織田信長」と大塚氏の関係についてわかっていることを列挙してゆきましょう!
織田家臣の大塚氏については、「レファレンス協同データベース」にとてもよい質問&回答事例が載っていますので、まずはそこから押さえておきます。
レファレンス協同データベース より
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000151726
このサイトは、公立図書館によせられた質問と、図書館職員(司書)による回答サポートの事例集なのですが、大阪府立図書館の司書さんのレベルの高さはなかなかのもの!
まあ、ふつうの市町村図書館に行っておなじだけの回答をしてくださる方はおられないと思います。(^^; ★個人の感想です。
と、その前にもう一つ、「ごさんべえさんのサイト」にも目を通しておくと理解が深まりますので、そちらもどうぞ。
ごさんべえのぺえじ さんのサイトより
http://gos.but.jp/otsukat.htm
==========
さて、まとめます。
① 岡山県の大塚さんの先祖である「国富四郎兵衛」なる者が信長家臣であり、徳川家に仕えた子孫もいる、ということ。
② 信長の家臣に「国富姓」があまり見あたらないので、大塚姓を抜き出すと以下の通り。
■ 大塚新八郎 相撲取り。 信長主催の相撲会にて召抱え。注1)
■ 大塚孫三 小姓 本能寺の変に際して戦死。注2)
■ 大塚又一郎 馬廻。妻は生駒親正の娘。本能寺にて戦死。注2)
注1)
戦国ウォーカーさんのブログ が参考になります。
http://sengoku-walker.blog.jp/archives/51045786.html
注2)
信長公記 さんのサイトが参考になります。
http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho14.html
文書解読研究室 さんのサイトで本能寺の状況がわかります。
http://www.nobunaga-lab.com/labo/10_monjo/shiryou/sinchoukouki/folder/15kan/15-32.html
③ その他 詳細不明ですが
■ 大塚太郎左衛門 注3)
なるものが信長家臣にいたようです。
注3)
織田武将録 本能寺の変一覧 さんのサイトより
http://www2s.biglobe.ne.jp/gokuh/ghp/busho/oda_y3.htm
==========
さて、もう一点、信長自身の家来というよりも、信長とセットの「森蘭丸」の森家に仕えたと思われる大塚氏がおり、そちらも気になります。
森一族、それに追従している大塚氏ともに美濃国の出で、森家はその後岡山美作に入りのち津山藩主、大塚氏は美濃時代から森氏に仕え、津山藩では家老職になります。
ウィキペディアより大塚丹後守
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%AE%88
再度 ごさんべえさんのサイト によると、この大塚氏は同一あるいは別系統もあり、
ごさんべえのぺえじ さんのサイトより
http://gos.but.jp/tzw.htm
「茨城の大塚将監」なる人物がおり、こちらは「下総から美濃入り、のち森氏へ仕える」ことになっています。
ただ、大塚将監の系列は、森氏が信濃時代に仕えたことになっているので、丹後守の系統とは一度分かれて、津山でまた一緒になっていると思われます。だとすれば、美濃時代にある程度大塚氏は分派して存在していたことになります。
というわけで、このあたりはまだまだ調査中ですが、とりいそぎ経過説明まで。
毎度ですが、織田信長さん!生きてたら連絡ください。(笑)
0 件のコメント:
コメントを投稿